※本稿は、工藤美代子『小泉八雲 漂泊の作家ラフカディオ・ハーンの生涯』(毎日文庫)の一部を再編集したものです。
日本の怪談が好きすぎたハーン
ハーンの『怪談』は、あまりにも有名ですが、その創作過程について、妻のセツが「思い出の記」の中で興味深い記述をしています。
これは、少し穿った見方かもしれませんが、ハーンにしてみれば、妻のセツが夢にうなされるくらい怪談の世界に深入りしてくれなければ困ったのではないでしょうか。理性的な女性で怪談は迷信と片付けるか、そこまではゆかなくとも、創作に必要な素材と割り切るようだったら、物語そのものにあれだけの凄みとか迫力が出なかったと思うのです。
しかも、さらに見逃してはならないのは、セツ自らが古本屋を歩き、作品に使えそうな本を捜しだし、それを買い求めて読んで、自分の体内でいったん消化してから、夫に話して聞かせたことでした。これは大変なインテリジェンスを必要とする行為です。たとえばアメリカの大学などの英作文のクラスでは、必ず物語の要約、サマリーが課題として出される例などを見ても、それが如何に難しい知的作業であるかがわかると思います。
ハーン「日本女性は何という優しさ」
生涯で初めて自分の私生活のみならず仕事の面でも良き伴侶となるセツに巡り会ったハーンは、日本女性への賛辞をチェンバレンに宛てて次のように書いています。