「ばけばけ」(NHK)のモデル、小泉セツは11歳の頃から働いてきた苦労人だったが、23歳のとき、41歳のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と事実婚する(のちに入籍)。2人のひ孫・小泉凡さんは「セツが幼い頃から胸に宿した物語世界の豊かさを、ハーンは求め続けた」という――。

※本稿は、小泉凡『セツと八雲』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

『怪談』執筆中は“ゾーン”に入った

いつでも書き物にいそしみたい八雲は、きれい好きなセツからすると、ちょっと困った人でもありました。

〈私は部屋から庭から、綺麗に、毎日二度ぐらいも掃除せねば気のすまぬ性ですが、ヘルンはあのバタバタとはたく音が大嫌いで、『その掃除はあなたの病気です』といつも申しました。学校へ参ります日には、その留守中に綺麗に片付けて、掃除しておくのですが、在宅の日には朝起きまして、顔を洗い食事を致します間にちゃんとしておきました。このほか掃除をさせて下さいと頼みます時には、ただ五分とか六分とかいう約束で、承知してくれるのです。その間、庭など散歩したり廊下をあちこち歩いたりしていました〉(小泉セツ『思ひ出の記』)

執筆している間、八雲は「ゾーン」に入ります。ランプから黒煙が出てしまい、室内が暗くなってしまっても、気づかずに書き続けるほどでした。

〈著述に熱心にふけっている時、よくありもしない物を見たり、聞いたり致しますので、私は心配のあまり、あまり熱心になりすぎぬよう、もう少し考えぬようにしてくれるとよいが、とよく思いました。松江の頃には私はまだ年は若いし、ヘルンは気が違うのではないかと心配致しまして、ある時西田さんにたずねた事がございました。あまり深く熱心になり過ぎるからであるという事が次第にわかって参りました〉(同前)

そんな風に肩を寄せ合うセツと出会わなければ、八雲はラフカディオ・ハーンのままでした。小泉八雲となることもなく、『怪談』で知られる文豪に「ばける」こともなかったでしょう。

小泉八雲と妻セツ
写真提供=小泉家
小泉八雲と妻セツ

前夫の出奔で「死にたくなった」

八雲が松江に来てまもなく聴いた怪談は「鳥取の布団」でした。紀行文「日本海に沿って」では旅の途中、宿の女中から聞かされたことになっていますが、実際はセツが語り伝えたようです。

そしてこの物語は、ほかならぬ鳥取出身の前夫、為二から教えられたのでした。セツは彼の出奔によって、死にたくなるほど悲しい思いをさせられた、といいます。でも、為二に聞かされた哀切なお話は忘れられなかった。とことん物語を愛するセツならではの感受性だと思います。