※本稿は、小泉凡『セツと八雲』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
『怪談』執筆中は“ゾーン”に入った
いつでも書き物にいそしみたい八雲は、きれい好きなセツからすると、ちょっと困った人でもありました。
執筆している間、八雲は「ゾーン」に入ります。ランプから黒煙が出てしまい、室内が暗くなってしまっても、気づかずに書き続けるほどでした。
そんな風に肩を寄せ合うセツと出会わなければ、八雲はラフカディオ・ハーンのままでした。小泉八雲となることもなく、『怪談』で知られる文豪に「ばける」こともなかったでしょう。
前夫の出奔で「死にたくなった」
八雲が松江に来てまもなく聴いた怪談は「鳥取の布団」でした。紀行文「日本海に沿って」では旅の途中、宿の女中から聞かされたことになっていますが、実際はセツが語り伝えたようです。
そしてこの物語は、ほかならぬ鳥取出身の前夫、為二から教えられたのでした。セツは彼の出奔によって、死にたくなるほど悲しい思いをさせられた、といいます。でも、為二に聞かされた哀切なお話は忘れられなかった。とことん物語を愛するセツならではの感受性だと思います。
前夫・為二が語った「鳥取の布団」
「鳥取の布団」はこんな話です。鳥取で小さな宿屋が開業し、一人の旅商人の男が泊まった。布団から「あにさん寒かろう」「おまえも寒かろう」という子どもの声が聞こえてくるのに目を覚まし、幽霊だと訴えた。
宿の主人は最初、そんな話を相手にしなかったのですが、同じような現象が続き、とうとう主人自身も布団がしゃべる声を聞いてしまったそうです。原因を突き止めるため、布団を購入した古道具屋に事情を尋ねると、こんな悲しいわけが明らかになりました。
その布団は、鳥取の町はずれにある小さな貸屋の家主から古道具屋が買い入れたものでした。その貸屋には、貧しい夫婦と二人の男の子が住んでいましたが、夫婦は息子たちを残して相次いで死んでしまいました。残された二人は家財道具や両親の残した着物を売り払い、どうにか暮らしてきましたが、ついに一枚の薄い布団を残して売るものがなくなってしまいます。
大寒の日、兄弟は布団にくるまり、「あにさん寒かろう」「おまえも寒かろう」と寒さに震えていた。やがて冷酷な家主がやってきて、家賃の代わりに最後の布団を奪い取り、二人を雪の中に追い出してしまった。かわいそうな兄弟は行くあてもなく、少しでも雪をしのごうと、追い出された家の軒先に入って抱き合いながら眠ってしまった。神様は二人の体に新しい真っ白な布団をかけておやりになった。もう寒いことも怖いことも感じなかった。しばらく後に二人の亡骸は見つかり、千手観音堂の墓地に葬られた。
「あなた、私の手伝いできる人」
この話を聞いて哀れに思った宿屋の主人は、布団を寺に寄進して、二人の兄弟を供養してもらいました。布団がものを言うことはなくなったそうです……。
幼い頃から物語の世界にひたってきたセツにかかると、こんな情景も八雲の目に浮かぶような響きで迫ってきたのでしょう。
「あなた、私の手伝いできる人です」
聴き終わった八雲は、たいへん喜びました。再話文学の創作を支える「リテラリー・アシスタント」のセツが誕生した瞬間でした。
ダブリンでは乳母のキャサリン、シンシナティでは最初の結婚相手マティ、マルティニークではお手伝いさんのシリリアと、その地その地で伝承を語る女性が八雲のそばにいたものでした。八雲はそうした女性にどこか母性を求めていたのでしょう。
セツの怪談語りには凄みがあった
セツの語りは、ひときわ凄みを感じさせました。幼い頃から胸に宿した物語が八雲と出会い、伏流水のように湧きだします。話の筋だけでなく、ストーリーに応じた声音や表情が、八雲の再話文学に欠かせない要素になったのです。
ほかにもたくさんの民話を語り聞かせることができました。雪女や狐、河童の息吹を感じさせる物語……。最も近い八雲にその才を認められたこと。それは娘時代から苦労を重ねてきたセツにとって、自分の居場所を見つけた瞬間とも言えます。
11歳の頃から家のため、働きに働いてきました。回り道をしましたが、八雲と一緒になり、本来宿していた力を見いだされたように感じられたでしょう。
セツと出会い、あまたの民話を伝え聞いてゆく八雲が、ひときわ好んだ怪談があります。幽霊が子育てをする「飴を買う女」という物語です。舞台となった松江にある大雄寺は今も八雲ゆかりの寺として親しまれ、随筆「神々の国の首都」に織り込まれています。
『怪談(KWAIDAN)』の誕生
最も身近な女性を「語り部」とし、伝承者として再話した物語を紡いでゆく。そんな風に八雲とセツの、創作上も支え合う間柄が築かれてゆきます。
話によって八雲は泣き、セツも泣いて話し、泣いて聴いて、書いたものだといいます。八雲が他界した1904(明治37)年に刊行された『怪談』が『KWAIDAN』と表記されているのは、セツが出雲の言葉で話したからです。
知っている怪談だけでなく、後に古書店を巡り、素材を探すのもセツの役割となります。
八雲に怪談を聞かせる情景をセツは後に、『思ひ出の記』にこう書き残しています。
こんな風に語り聞かせていると、八雲からリクエストがとんできます。
セツの語りに惚れ込んだ八雲は、こう言うのです。
「表情の変わり方がなかなかひどい」
だから、自分の物にしてしまっていなければならず、セツは夢にまで見るようになりました。そして興が乗ってくると八雲の表情が変わってきます。
ひとつ付け加えるなら、八雲は日本語が不自由でしたから、ただ本の朗読をされるばかりでは寓意も情景も分からないところが生じたのでしょう。そういう意味でも、セツがいろいろと補わないといけなかったのだと思います。
