「時代とともにある」ということは「凡庸」だという宿命
嫉妬だ。90年代、時代とともにありすぎるほどあった小室哲哉は、つまり当時もっとも凡庸だった。だからその嫉妬は正当な評価と表裏一体であって、まさしくその点によって、いま思えば、美しかった。94年、坂本が「大人のポップスを聴かせる」と言って発表したソロアルバムのタイトルは『Sweet Revenge』(甘い復讐)という。これが小室ひとりに宛てられたものだなどと言うつもりはない。だが、(坂本の耳からすれば)子ども向けのポップスが数字をとっていく同時代への、真剣な応答であったことは確実だろう。だから私の当初の坂本の認識は、同時代に対して嫉妬し、復讐しようとする壮年だった。若者世代に対して、と言ってもいいかもしれない。
だが――むしろ、だからこそと言うべきかもしれない。坂本の姿勢に興味を惹かれ、その音楽をゆっくりと紐解いていくことになる。その昔、YMOという比類なきユニットで世界的成功を収めたこと、日本人で唯一のアカデミー作曲賞受賞作家であること。90年代当時、「転調の小室」と言われていたが、大胆な転調といえば坂本がずっと先んじていたこと(有名曲で挙げるなら「TONG POO」、『ラストエンペラー』のテーマ。『子猫物語』のテーマ「ワタスゲの原」は、クラシックの書法からほど遠い大胆な転調を楽しめる名曲である)。
そして、自分はこの作家の最盛期には間に合わなかったのだと思い知った。
平成の日本は疲弊し坂本による強壮剤のCM曲がヒット
20世紀が終わろうとする99年、凡庸という衣はふたたび坂本へと舞い戻ってくる。「energy flow」が、ピアノ曲のシングルとしては異例の大ヒットを記録したのだ。
「癒やしの時代」に合った曲だと言われた。癒やしという言葉の語感には、たしか坂本本人が違和感を表明していたと記憶する。ただそれ以上にシニカルで、かつ象徴的だったのは、この曲が強壮剤のCMテーマだったことだ。強壮剤を名前の通りに理解する人はビジネスパーソンには少ないだろう。それは、本当は疲れていることを隠蔽し先送りにする、時間の前借りとも言われるなにかだ。いまは多くの人が知っている。平成日本はとっくに疲弊していた。その事実に気づくことを、日本は単に先送りにしていた。