90年代小室ブームの中に降り立った「嫉妬する壮年」
坂本龍一と小説家の村上龍のふたりがホストとなり、各回ひとりのゲストを迎え対話する鼎談集『EV. Café』(初版は1985年)という書籍がある。同書にも登場した批評家の蓮實重彦は、(乱暴な要約だが)時代とともに「ありすぎる」ことを、「凡庸」と形容した。
坂本は時代とともにあったか? それは明確にイエスであると言わざるをえないだろう。その時代の美性と愚かさを最大限に身にまとうことが凡庸であるなら、坂本は凡庸だった。『EV. Café』は、80年代当時「ファッション」と言えるほどに人気を博したニューアカデミズム、ポストモダン現代思想の日本における主要人物たちと交歓する坂本の高揚を、スナップ写真のように活写する名ドキュメントである。時代はそれに憧れていて、坂本もそれに憧れていた。
凡庸。そうであればこそ、坂本は、自分以上に時代とともにある人に敏感だった。
私が最初に動く坂本龍一を見たのは、「avex dance Matrix ’95」という大規模ライブイベントの映像においてだった。同イベントは、90年代のJポップをすべて塗り替えてしまうほど一世を風靡した「小室系=TKファミリー」の歌手、ユニットが大集結し行われたもので、その後の大規模音楽フェスティバルの前身だったとも言われるようだ。主役はもちろん、小室哲哉。
坂本に憧れた小室は演奏そっちのけで走った
坂本の訃報に際し、「あなたに憧れてきました」という直筆メッセージを発表した小室は、95年のこのとき、坂本を唯一のTKファミリー外からの特別ゲストとして招いていた。小室が共演を求めた坂本の楽曲は、マイケル・ジャクソンが自らのレパートリーにしたがったことでも知られる、YMO時代の代表曲のひとつ「BEHIND THE MASK」だった。
「怖い顔をしたおじさま」。あまりに素朴だが、そのステージの映像を見た最初の印象はそのようなもので、もっと言えば、坂本はいらついて見えた。いま思い出しても当時の自分の印象は間違ってなかったように思える。「BEHIND THE MASK」冒頭から繰り返される有名な4小節のリフは、2小節目からさっそく同主調転調するという稀な構成になっている(だからこそクセになる)。このリフの繰り返しをバックに、アドリブでソロを弾くことがいかに厄介か、いまはわかる。
では小室が、ソロの番が回ってきたときにどうしたかというと、演奏そっちのけで、客席中央まで延びる長い長い花道を全力で走っていったのだ(こちらには当時、「こんな勝手な大人がいるとは!」と驚いた)。歓声が上がる。坂本は定位置を動かず演奏していた。このときの小室を見る目が、怖かったのだ。