9歳で始まった第2の人生

さて、金龍桜によって一命を取りとめた今野さんは、一度殺されて、まったく別の人間に生まれ変わったという。

「仲よしだった生き物たちが殺されていく光景を見て、ふつふつと復讐ふくしゅう心が燃えたぎって、大人になったら絶対にアメリカという国に行って、いま見ている光景のことをアメリカ人に話す。私を殺したアメリカという国に行って、戦争の悲惨さを訴える。これが、9歳から始まった私の第2の人生なんです」

この決意は後年、今野さんが予想もしていなかった形で達せられることになる。

100%落ちた

周囲の反対を振り切って、今野さんは東京の大学に進学している。「女が4年生大学に行くなんて」という時代に、大学進学の壁は厚かった。父親から提示された条件は、受験は1校のみ。浪人は許さないという厳しいもの。その条件を確実にクリアするために、「ちょっとレベルを落として」選んだのが津田塾大学だった。

津田塾時代は学生新聞の編集長として活躍した。その経験が後に今野さんの人生を大きく動かしていくことになるのだが、就職試験にはことごとく失敗した。いや、失敗したというよりも、そもそも門戸が開いていなかったと言うべきだろうか。

大学卒業の頃の今野さん。
大学卒業の頃の今野さん。(写真=本人提供)

「マスコミ志望でしたけれど、記者の募集は男子のみ。女子の4大卒でも採用の可能性がありそうな企業を10社近く受けましたけど、100%落とされました。子どもの頃から、勉強はできたから1次の筆記試験は全部合格したの。だけど、2次の面接で全部落とされました」

なぜか?

今野さんによれば、どの企業でも面接官と同じようなやり取りがあったという。

「いろいろな質問に対して、自分の考えを述べるでしょう。そうすると、あなたの意見なんて聞きたくないんだと。仕事は男がやるもので、女は男の仕事を支えるものだ。あなたのような小生意気な女は、わが社にはいらないと……」