「女性ならではの視点」を求められた女性が違和感を持つのはなぜなのか。社会学者の森山至貴さんは「これまで社会のしくみのかなりの部分が、男性のあり方を前提として設計されてきた。女性の経験に注目するのはいいことだが、だからといって個々の女性が『女性ならではの視点』を期待されることを正当化できるわけではない」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、森山至貴『10代から知っておきたい 女性を閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。

会議室
写真=iStock.com/itakayuki
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女性A「なんで私もこのプロジェクトのメンバーなんですか?」
男性B「最終的には新しい女性向けの医療保険を作ることが目標だからね」
女性A「でも私、ずっと学資保険の担当でしたよ」
男性B「山口さんは女性だからだよ。女性ならではの視点からの意見が欲しくてさ」

女性の経験は、まだまだ軽視されている

組織で働いている以上、いつも自分に向いている慣れた仕事をさせてもらえるわけではない。そうはわかりつつも、「なぜ私がこの仕事を?」という問いに納得のいく答えが欲しいと思うこともあるでしょう。また、その答え、つまり自分に何が期待されているのかがわかれば、仕事の質が上がる、ということもあるはずです。

では、「女性ならではの視点」が求められているとわかったら、「なるほどそういうことか」と納得して女性は仕事に前向きになれるものでしょうか。もちろん場合にもよりますが、荷が重い、気が進まないと思う人も多いように思います。なぜでしょう。

前提から確認します。たしかに今、企業を含め社会の多くの場面で、女性の経験に注目することが求められています。というのも、社会のしくみのかなりの部分が、男性のあり方を前提として設計・運営されているという事実があるからです。たとえば、医薬品研究が女性を対象としてこなかったことへの反省から生まれた性差医療なども、女性の経験に注目する試みのひとつと言えるでしょう。ですから、医療保険が女性の経験に配慮できていないのであれば、そこに注目することはもちろん素晴らしいことです。

ただし、女性の経験が配慮されるべきだからといって、そのために個々の女性が「女性ならではの視点」を期待されることを正当化できるわけではありません。むしろ、そういう期待にこそ、女性の経験が配慮されていないという問題が表れているのです。順を追って説明します。