死を覚悟するような厳しい修行

道場はなにしろ汚い。想像を絶する汚さです。嫌で嫌でたまりませんでした。なぜ逃げなかったのだろうかといまだから思いますが、当時はマインドコントロールを受けていて、上の世界に生まれ変わるには、穢れとかカルマを落とすことが優先されて、私がその上のステージに上がることによって、信仰していない父や家族も救われると教えられていて信じておりました。家族を人質に取られているような状況で、ひたすら努力をしました。

いちばん印象に残っているというか、いまでもトラウマなのが、年末年始などにおこなう集中修行があるんですけれども、その席で私は高熱を出したんです。最終的には水疱瘡だとわかったんですけれども、誰も手当はしてくれず、飲まず食わずで寝ないような修行を、10日間ぶつ続けでやっておりまして、ほんとうに死ぬかなと、死を覚悟するような瞬間が何回もありました。

薬を使ったイニシエーション、覚醒剤のLSDを使ったイニシエーションがあったんですけれども、そのときはそんな薬を使っているものだとは知らないで、それを何回も受けてしまいまして、幻覚を見たり、記憶がなくなったり、暴れまわったり、自分が誰かわからなくなったり、そういう状況に何回も陥りました。それがまだ薬物だと想像さえできない10代前半、そういう子どものときに経験しています。オウムの信者がよく着けていたヘッドギアをかぶって修行したこともあります。強制捜査までに行われていた当時の修行は、ほとんど私はやっております。

オウムの教義を完全に信じてしまい母と共に出家

オウムと言えば、空中浮揚というのがあるじやないですか。よく写真が報道に出ていましたよね。やっぱりその、覚醒剤を使った修行をしたときに、そういう現象が起きたりとかはしました。幻覚を見たりとか、教わっていたことが私は見えてきたのでそれを信じてしまいました。集中修行のときに生きるか死ぬかとか、そういう状態になったときに光を見たりとかもあります。苦しいことを乗り越えたあとの達成感というんですか、すごくハイになったりとかそういう経験をしました。そういうのを体験したら、ますます脱会しにくくなります。教えがほんとうだと思いますから。

中学が終わって高校にはなんとか進学できましたが、やはり学校以外はほぼオウムの修行でした。勉強はほとんどできていなかったので、テストはいつも赤点でした。1995年1月についに出家をしました。その前も何度か出家をしようとしたんですけれども、どうしても私が嫌で逃げていました。財産を寄付して、その代わりにすべての衣食住の面倒を見ていただけるということになりました。