痛いと思われようが、行けるところまで行きたい
もちろん、社内の女性たち全てが、「志が同じ」というわけではない。岸井さんの講話を聞いた後輩女性のアンケートには、こんな思いが吐露されていた。
「そこまでして、管理職になりたくはありません」
自分が選んだ生き方は、後輩からすれば「痛い」のかもしれない。それでも、どこまで行けるかわからないが、行けるところまで行ってみようと思っている。
支えの一つに、前の会社で言われた部長の言葉がある。果たして自分はプロフェッショナルで行くのか、マネジャー職で行くのか。
「いろいろな人と仕事をして、1+1=2以上だと感じたことがあった時、私はマネジャー職かなと思いました。はっきりと、その問いへの答えを出すことができました。上を目指すほど、つらいことも多いのかもしれないけれど、それを上回る達成感や喜びを感じていて、繰り返しのないこの仕事にやりがいを感じています。仕事を通して、その先にいる誰かのために、無心になって頑張れる。その誰かは、会社や上司や他部署やお客様などステークホルダーの面々、そして娘。ひいては自分のために。これからも、ずっと自己成長し続けて、生きている限りいろいろな経験を積んでいきたいと思っています」
50代の展望は…
とはいえ、50代を展望すると、一気に靄がかかる。
「うちは、55歳になると役職定年になります。直接の部下がいないから一人でできることは限られますし、マネジャー職でなくなる中で、プロとして生きていけるかというと、そこはちょっと不安です」
国が進める女性活躍推進の流れが社内にも訪れ、岸井さんは女性活躍推進の活動を担う立場となった。女性活躍推進の活動は、岸井さんの経験が生かされ、それは今後とも、自分の力が発揮できる場だと思っている。
岸井さんは今回なぜ、インタビューに応じてくれたのだろう。
「女性たちは男性と違って、ロールモデルを一人に決めるのではなく、Aさんのここの部分、Bさんのここの部分とパーツごとに集めて、自分なりの生き方を考えたりするじゃないですか。そのパーツの一つを何か、お伝えできればと思って。次の一歩を踏み出す人が出てきてくれたら、うれしいと思っています」
心が和むのは、娘とのひとときだ。全力で寂しいと訴え、大きな身体で抱きついてくる素直な子に育った。仕事と子ども、どちらも選択できる人生、そして社会でなければおかしい。満身創痍な先駆者に、心より拍手を送りたい。
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。