いつから「天皇」と呼ばれるようになったのか

皇帝の世界史を振り返ったところで、ここからは日本における歴史に目を移したい。

皇室の先祖は、スメラミコト、スメラギ、オオキミなどと呼ばれていたようだが、7世紀から徐々に外交文書においては「天皇」と表記するようになった。唐の中宗がこの称号を使っていたのを気に入って採用したのかもしれない。

ただ、日本人はこれをスメラミコトとか呼んでいたのであって、テンノウという読み方が定着したのは近代になってからだ。これは倭国といった言葉でも同様で、国内ではヤマトと読んでいた。

日本の天皇と中国の皇帝は遣唐使の廃絶以来、外交関係を持つことはなく、明治になって日本側から近代的な外交関係を持つことを提案した。清国ではどう扱ったものか議論があったが、曾国藩や李鴻章といった官僚政治家たちが検証した結果、歴史的に上下関係はないとして、欧米諸国の君主と同じように扱うことになり、1871年に日清修好条規が結ばれた。

朝鮮王の位置づけは独立国とする日本と、従属国とする清国が対立して、それが日清戦争の原因となったが、日本の勝利によって独立国と認められ、1897年に韓国皇帝となった。

このヨーロッパや東アジアでの王室相互の関係については、『日本人のための英仏独三国志 世界史の「複雑怪奇なり」が氷解!』と『日本人のための日中韓興亡史』(いずれもさくら舎)で詳細に論じたことがある。

約40年前から「たった1人のエンペラー」に

幕末には欧米に対して、将軍がエンペラーを名乗っていたが、明治になるとエンペラーをもって天皇の英訳とした。第一次世界大戦後には、世界のほとんどの皇帝は廃絶し、第二次世界戦後には、日本以外ではエチオピア、それに場合によってはイランのシャーも皇帝と呼ばれるだけになった。

そして、エチオピアでは1974年、イランでは1978~79年にそれぞれ革命が起き、帝政が崩壊。1977年には、中央アフリカの大統領だったボカサが皇帝を名乗り、一時は国際的にも受け入れられたが、これもわずか2年ほどで追放され、帝政は廃止された。

ボカサ(写真=CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
中央アフリカ皇帝 ボカサ1世(写真=CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

その結果として、現在エンペラーを名乗っているのは日本の天皇だけとなり、世界遺産的な意味での権威はある。