誰もが知る伝説の起業家、カーネル・サンダースがケンタッキーフライドチキンを創業したのは65歳のこと。音声配信番組「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」の配信者・深井龍之介さんは「30代や40代くらいで『成功した』『失敗した』と言うのはやめましょう。不毛です。せめて80歳くらいまでは待ちましょう」といいます――。

※本稿は、深井龍之介『歴史思考』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。

カーネル・サンダースのロゴが大きく入ったケンタッキー・フライド・チキンの看板
写真=iStock.com/davidhills
※写真はイメージです

“真面目で不器用な性格”が裏目に…職を転々とした30代

これまでの経歴
母の再婚により、10代で家を飛び出したカーネル・サンダースは、職を転々としてきました。学歴は日本でいう小学校卒業程度ですから、苦労したのではないでしょうか。陸軍、機関車の灰さらい、機関士、路面電車の車掌、ペンキ塗り、弁護士、保険外交員、フェリー会社の経営、商工会議所の秘書、ガスランプの製造販売、タイヤのセールスマン……。これだけ職を変えるとダメ人間という印象ですが、いつも全力で一生懸命だったのは間違いないようです。でも、毎回それが裏目に出てしまった。

ガスランプの製造販売には大金をつぎ込んだのですが、不運にも時代はちょうどガスから電気に移り変わるころでした。この事業の失敗で、サンダースは全財産を失っています。

サンダースが30代を過ごした1920年代のアメリカは、フォード・モーターの「T型フォード」が大ヒットし、自動車が一気に普及した時代でもありました。

ある日、サンダースに、タイヤのセールスマン時代に知り合った石油代理店の偉い人が声をかけます。需要が増しているガソリンスタンドを経営してみないか、というのです。

サンダースはこの話に乗り、もはや人生でいくつ目の仕事か分かりませんが、ガソリンスタンドを始めます。場所は、アメリカ中東部にあるケンタッキー州。ガソリンスタンド自体はアメリカ中で増えていたのですが、何しろまじめで一生懸命なサンダースですから、彼の経営するガソリンスタンドはひと味違いました。

何がすごいって、ホスピタリティです。立ち寄った車に単にガソリンを入れるだけではなく、窓は拭く、タイヤの空気圧はチェックする、パンクしていたら無料で修理すると、徹底したおもてなしをしました。頑張り屋のサンダースらしいガソリンスタンドです。

その甲斐あって、サンダースのガソリンスタンドは繁盛します。わざわざ遠回りしてまでサンダースのところまで来るお客さんも多かったとか。こうして40歳手前にして、ようやく商売が軌道に乗り始めたサンダースでしたが、人生は非情でした。

40歳手前、世界的な大恐慌で2度目の破産

1929年、アメリカの株価暴落をきっかけとして世界的な大恐慌が発生します。そのあおりを受けてガソリンスタンドも経営が立ち行かなくなり、サンダースは再び全財産を失います。

普通、絶望しますよね。だって、機関車の灰さらいから始まって築き上げた財産を、ガスランプ事業の失敗ですべて失い、そこから立ち直ってもう一度頑張ったのに、再び破産したんですから。しかも、どちらも原因は社会にあって、サンダースのせいじゃない。サンダースは頑張ってきたのに……。

それでも、サンダースはあきらめませんでした。