カーネル・サンダースの誕生

地元の名士になったサンダースには、1935年に州から「カーネル」の称号が授けられます。カーネル・サンダースの誕生です。

このとき、サンダースは45歳。

当時の米国人男性の平均寿命は60歳に届きませんから、今の日本の感覚だと60歳超えでしょうか。無数の職業を経験し、2度の破産も経験した男が人生の終盤でついに成功を収めたんです。

それは、彼が子供のころから大好きだった料理によってでした。

65歳に始まった人生のクライマックス

50歳になる直前には、夜中に火事でお店が全焼する悲劇に見舞われました。このときにはさすがのサンダースも10時間くらい落ち込んだようです。しかし翌日の午前中には立ち直り、焼け跡にトラックを乗り入れて、再建を始めていたとか。彼らしいですね。お店のファンの支援もあったといわれています。

そうこうしているうちに、サンダースは65歳になっていました。平均寿命を超えたわけですから、もう引退を考えていい年齢です。国道沿いのサンダースカフェは立地の良さもあり、相変わらず大繁盛。家出少年だったサンダースは「カーネル・サンダース」として、静かな余生に入ろうとしていました。

しかし、ここからが彼の人生のクライマックスだったのです。

売るものがない? ならば…

第二次世界大戦後のアメリカでは高速道路の建設が盛んになりました。サンダースカフェがあったコービンの外れにも高速道路が完成します。すると、サンダースの店の前を通る国道の利用者が高速道路に流れ、客足が一気に遠のきました。売り上げは落ちていき、ついには全盛期の半分以下になってしまいました。店は大赤字です。

不屈のサンダースはこのとき、人生で初めて白旗をかかげます。店を畳んで引退することにするんです。無理もありませんが、このときばかりはサンダースらしくなく、決断までに時間がかかったようです。

それが致命傷になりました。迷っているうちに負債が溜まっていき、最終的には店を売っても手元にお金が残らないくらいのダメージを負ってしまったのです。その上、まじめに払ってきた年金の支給額は、家族が暮らしていけないほど微々たるものでした。

65歳のサンダースはまたもや全財産を失いました。

まったく予測不能な社会の変化によって、人生の最終盤にして、サンダースは最大の危機を迎えます。普通ならあきらめますよね。しかし、彼はカーネル・サンダース。ここから、サンダース最後の挑戦が始まります。

サンダースは考えます。今の俺の手持ちの武器は何だ? 金はないから、店を作ることはもうできない。体はヨボヨボ。家族と中古車1台しかない老いぼれに何ができる? そうだ、自分にはフライドチキンがあるじゃないか。最高のフライドチキンの作り方を知っているじゃないか。

フライドチキンの店を出す体力は、金銭的にも年齢的にもありません。でも、彼の頭の中にはレシピが入っています。子供のころにお母さんに習ったレシピが。サンダースはそれを売ろうと考えました。今でいうフランチャイズです。