校則の一歩先に踏み込みたい

【内田】おっしゃる通りで、「下着の色を確認する」など、今報道されているのは、明らかなおかしい校則ばかりと思います。「校則という決まり」が学校になぜあるのかということから根本的に見直していくような議論にはなっていかない。

報道されないような例でも生徒や先生が葛藤している例があるのではないか、報道に挙がるような校則の事例の、一歩先のところに踏み込んでいきたいです。

【山本】私は、「校則にスポットライトが当たって」、世の中全般にいろんな議論が生まれていることが、素晴らしいことだな、と思っています。

私の学校では校則を変更したのですが、「そもそも校則とはなんなのか」を考えることは、教職員同士、生徒同士、地域の人が、学校と関わるということの理想的な在り方を考えるきっかけになりました。

学校の廊下の椅子で座って待っている中学生とその親
写真=iStock.com/kazuma seki
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例えば、「中学生らしくありなさい」という言葉が子供一人一人の主体性を奪っていないか、とか、「学校が荒れている/落ち着いている」という言葉の基準が実は人それぞれなのではないか、ということを考え直すことになったのです。

報道やその反応を見ていると、校則で教師が「生徒の人権を侵害している。学校と教師が画一的に生徒をずっと縛っている」という指摘も多いなと感じますが、一つ、こうした意見の方に、胸を張って言いたいことがあって、「我々教員は、人権教育を徹底してやってきた」ということです。北海道から沖縄まで、人権のことを考えていない教員なんていないと思います。

生徒指導についてしっかり考えてこなかった

ただ、その一方で、「生徒指導」の第一歩目の基準が頭髪の色・制服の着こなしなどになっている現実は確かに見られます。そもそもこうした規定は、本当に子供たちが順守すべき教えなのかについて、先生も生徒も保護者も含めて十分に考えてきていなかったと思います。いろんな思いはある人も、言えてなかったとも考えられます。

大事に考えているはずなのに、「生徒指導」についてしっかり考えてこなかったせいで、今このような形で批判が噴出して、人権教育自体も疑義が向けられているとすると少し寂しいところです。