職場のハラスメントと〈叱る依存〉
〈叱る依存〉のリスクは、家庭という密室だけでなく、みなさんの職場にも潜んでいます。
職場には「業務命令権」という強力な権限が存在しています。雇用されて働く人は業務範囲内の適正な指示、命令には従わなければいけません。この権限は雇用契約という形で明文化されているところに、家庭とはまた違った特徴があります。
もちろん指示や命令をする権利は業務を遂行するために必要なものなのですが、そこに大きな権力格差が生まれることもまた、否定しがたい事実です。すでに見てきたように、権力格差がある環境では、人が「ネガティブ感情を与え、他者を思い通りにコントロールする快楽」に依存してしまいやすくなります。叱る人が考える「あるべき姿」に、相手が従って当然という考えに支配されてしまうのです。
そう考えると「パワーハラスメント」とは、職場における〈叱る依存〉の一形態、もしくはその延長線上であると言えるかもしれません。厚生労働省の資料には実際にあったパワーハラスメントの例として「指導に熱が入り、手が出てしまった」「『馬鹿』『ふざけるな』『役立たず』『給料泥棒』『死ね』等暴言を吐く」「指導の過程で個人の人格を否定するような発言で叱責する」などの例が紹介されています。こういった状況が長期にわたって続いているとしたら、ハラスメントを行う側には相当な「報酬」が発生し、これらの行為に依存してしまっている可能性が高いでしょう。
また、職場における「セクシャルハラスメント」、いわゆるセクハラの問題にも同じ構造が隠れています。セクハラの場合、女性が被害者となるパターンが多数となります。そのため、職務上の立場の違いによる権力格差に加えて、男性優位な価値観による(時に無意識の)優越感を加害者が抱いているケースが多いことが予想されます。その場合、より強固な権力格差がハラスメントの背景にあると考えられます。
「叱る側」の被害者意識
ここまで、「叱る」が慢性化し、日常生活に支障をおよぼしてしまう危険性を、虐待、DV、ハラスメントを例に見てきました。ここでは、〈叱る依存〉におちいってしまった人が共通して抱きがちな、正当化欲求について考えます。
〈叱る依存〉が発生した場合、第一の被害者はどう考えても「叱られる人」です。彼らは本来の「学ぶ機会」や「のびのびと生きる機会」を奪われ、ただひたすらに目の前の苦痛から逃れることに心が占拠されてしまいます。しかもその影響が、長期にわたって続くのです。「叱られる人」にとっては悲劇と言ってもよい状況です。
けれど「叱る人」の主観的な体験は違います。叱る人にとって、被害者は自分自身であり、「叱られる人」こそが加害者だと感じる逆転現象が起きるのです。