「叱るのをやめよう」と思っても、なかなかやめられないのはなぜか。臨床心理士の村中直人さんは「叱ることがやめられなくなっている人は、無意識のうちに『私は努力している。悪いのはこの人だ』という発想になっていることが多い」といいます――。(第3回/全3回)

※本稿は、村中直人『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)の一部を再編集したものです。

若い女性の腕をつかみ怒っている男性の横顔
写真=iStock.com/Antonio_Diaz
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DV、ハラスメント、虐待の構造

〈叱る依存〉という視点で見ると、DV(ドメスティック・バイオレンス)や、職場におけるパワーハラスメントについても虐待と類似の構造を読み解くことができます。共通しているのは「状況を定義する権利」の格差であり、他者を思い通りにコントロールしたい欲求が存在することです。

まずは夫婦やパートナー間のDVについて考えてみましょう。

親子の場合、小さな子どもと親の間に権力格差が存在することは明白です。子どもは親の庇護や養育なしでは生きていけません。それに比べると、夫婦間の権力格差は見えにくい側面があります。少なくとも建前上、夫婦やパートナー関係は「平等な立場」であるとされているからです。

しかしながら実態としては平等とは言い難いケースも少なくはありません。例えば経済力や社会的地位などを背景に、顕著な権力格差が発生する場合があります。腕力が権力の源となることもあるでしょう(そのため、全体の傾向としては男性が「権力者」になることが圧倒的に多数となります)。

権力格差が、権力者のニーズを満たすための〈叱る依存〉が発生しやすい環境を生み出し、自分の思う「正義」の執行のために、相手を思い通りにコントロールすることがやめられなくなる。この構造は決して特別なものではなく、ありふれた、どこにでも発生しうるものです。

虐待を「普通の親」がしてしまうことが多いのと同じように、DVをしてしまう人も多くの場合、「特別に残忍な悪人」などではありません。「相手のため」「おかしな状況を正すため」に暴力をふるい、暴言を投げつけるのです。DV加害者が家庭の外ではむしろおとなしくて、乱暴な振る舞いを一切しない人であることも珍しくありません。人は自分の権力と支配がおよばない相手を直接「叱る」ことはまずないからです。その意味で〈叱る依存〉は必ず相手を選んで発生しています。

これらのことから、ほとんどすべてのDV事例は背景に〈叱る依存〉が存在していると言っても過言ではないでしょう。当然、「DV」にいたる要因は〈叱る依存〉だけではないでしょう。ですが、無視できないくらいに重要な背景として、〈叱る依存〉があることもまた事実ではないかと思うのです。