※本稿は、村中直人『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)の一部を再編集したものです。
叱らないと叱られる
「叱る」について考える一番初めの入り口として、まずは「叱る」が社会で強く求められている現状からお話しします。「叱らないと叱られる」、そんな言葉や圧力が、この社会にはたくさん存在しています。
こんな台詞を聞いたことはないでしょうか?
「叱ると怒るの区別がついていない人は、困ったものだ」
「真剣に叱ることが大切なのに、甘やかしてしつけを放棄する人がいる」
こういった発想は社会のいたるところにみられ、その結果「叱らないと叱られる」状況を生み出しているようです。
例えば、電車内やレストランなどの公共の場所でお子さんがなんらかの不適切な行為をしたとします。大きな声で騒いでしまったのかもしれませんし、お店のものを勝手に触ってしまったのかもしれません。
そのときに、一緒にいる保護者が第三者にわかるように「叱る」という行為をしなかった場合、冷たい視線が周囲から突き刺さることでしょう。「しっかり叱りなさいよ!」そんな心の声が聞こえてきそうです。そのため、本心では「きつく叱りたくなんてない」と保護者が思っていたとしても、周囲の圧力を感じてパフォーマンスとして叱る、ということも少なからずあるかと思います。
「叱る」姿勢は熱意や愛情の証拠?
このように「なぜもっときちんと叱らないのか!」と責められてしまう状況は、子育てをしている人なら誰しも身に覚えがあり、「甘やかさずに叱るべきだ」という社会的な圧力を、一度ならず感じたことがあるのではないでしょうか。保護者自身が積極的にそう考えている場合もあるでしょう。実際に私も、「きちんと叱れていない」と悩んでいたり、「叱らなければ、きちんと育たない」と考えていたりする方にたくさん出会ってきました。
こうした圧力がかかるのは、子育て中の保護者だけにとどまりません。例えば学校の先生やスポーツクラブのコーチが、「叱れない指導者(教育者)はだめだ」などと言われ、厳しい指導者、教育者がもてはやされる状況が一部で発生しています。厳しく叱る姿勢が、子どもたちへの熱意や愛情の証拠だと見なされているからです。そのため、「うちの子が言うことを聞かなかったら、厳しく叱ってやってください」「後々困らないように、厳しい先生に叱ってもらって根性をつけないと」というような発言をされる保護者は少なくありません。
逆に、きちんと叱れないような指導者、教育者は「未熟だ」「(指導する相手に)舐められているから、うまくいかないのだ」などと低く評価されることもあるかと思います。つまり、指導者、教育者側にも少なからず「叱らないと叱られる」プレッシャーが存在しているのです。