予期せぬ4年間のはじまり
2年後にはパソナへ異動。水上さんは、秘書職種の企画営業を担当した。秘書として働く人々に必要な情報を提供するサポートやクライアントに対するアプローチなどが主な仕事だった。水上さんは「取引先に喜ばれる、手みやげ情報交換会」を行ったり、社内で秘書を未経験から育成して企業へ派遣するサービスを立ち上げたり、営業企画をいろいろ進めていくものの、苦戦したという。
「それでも上司が自由にやらせてくださる方で、『成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことだ。100個プロジェクトを作って、1個成功すればよし。新しく何かを始めるということはそういう事だ』と。その言葉がずっと仕事するうえでの指針になっています」
水上さんにとって予期せぬ挑戦が待ち受けていたのは、2014年1月。大型プロジェクトが立ち上がり、役員秘書を探していると相談があった。新組織では仕事内容もどうなるか全くわからない。そのような現場へどのようなメンバーが出向すべきか……。
プライベートでもちょうど転機にあった。多忙な毎日ですれ違いが続く夫と離婚した直後だった。周りの目も気になる中で上司から環境を変えてみてはと勧められ、心機一転、水上さんが引き受けることにしたという。しかし、それからの4年間はなかなか過酷だったようだ。
「人生の中で、あんなに厳しく指導されたことはありません。オフィスが高層階にあって、夕方になると窓から富士山がきれいに見えるんです。富士山を見ながら、『私はなんでここにいるのだろう』と一人で涙したことも。最初は周りに仲間もいないし、いきなり一人で外へ放り出されたような気がして辛かったですね」
「絶対に負けたくない」
秘書をつとめた上司は昔気質で頑固一徹な人。組織を立ち上げたばかりの頃は来客も多く、申し入れがあると、上司に事前に確認して予定を入れていたが、多忙のためすれ違いが起きた際には「俺は何も聞いてない!」と、お客様の前で厳しく指導されることもあった。
さらに面談が続くと、時間もどんどん押していく。15分、30分刻みで来客があるため、「次のお客様がお待ちです」などとメモを差し入れるが、「わかってる!」の一言。待たされたお客様が帰ろうとするので、「間もなくですので……!」と必死に引き止め、もう一枚メモを差し入れに走るということも。
秘書としての経験不足もあるが、些細なことで指導されるのは悔しかった。ある日突然、上司に呼ばれ、「俺は優秀な人を求めているのに、お前が来た。恥ずかしくないのか」と言われた。水上さんは悔しく思い、奮起するバネになったという。
「呼ばれただけで体がビクッとするようになったとき、さすがにまずいと思いました。そのときに私は『秘書という役割だから指導されているだけで、自分の人格を否定されているわけじゃない!』と。だから絶対に負けたくない。どんなに怒られても次の日は笑顔で挨拶するように徹底していました」