「人生で、あんなに厳しく指導を受けたことはありません」。パソナのリレーションズ室長の水上惠里加さんが語る、ある上司との4年の日々とは――。

泣きながら帰った初面接

パソナとの出会いは大学を卒業してから1年後のこと。その1年間は、自分の夢に賭ける最後のチャンスでもあった。

現在の役職:株式会社パソナ スタッフHR本部 リレーションズ室 室長
プレジデントオンライン編集部撮影
パソナ スタッフHR本部 リレーションズ室長 水上惠里加さん

「今考えるとすごく恥ずかしいのですが、『歌手になりたい』という淡い夢がありました。子どものときから歌が好きで、キラキラした世界に憧れもあったのだと思います」

はにかみながら当時を振り返る水上さんだが、大学時代に続けた芸能活動をあきらめきれず、両親の応援もあってがんばっていた。しかし、一年経っても先が見えず、企業に就職しようと決意。だが、就職氷河期で厳しく、書類選考すら通らない。焦りを感じていたところ、兄が「パソナという会社で新卒・第二新卒を派遣するサービスがあるらしいよ」と教えてくれたのだ。さっそく登録をしたものの、実は面接の場で一度心が折れそうになったという。

「面接官に『あなた、社会に出ることを軽んじているのね』といわれたんです。もっと本腰を入れて働こうという気持ちがないと、雇ってもらえる会社などないわよと。そこで、私もハッとしました。就職を甘く考えていたことを反省し、このままじゃダメだと。絶対に落とされたと思い、泣きながら帰ったんですが……」

翌日、パソナから電話があって「合格」と知らされ驚いた。パソコンのスキルやビジネスマナーの研修を受け、1カ月後には、アパレル商社で営業事務の仕事をすることに。翌年には正社員に採用された。

専業主婦の生活になじめず…

その後、結婚を機に家庭へ入ったものの、専業主婦の生活になじめず暇を持て余していた。そんなときに連絡をもらったのが、パソナで水上さんの仕事を斡旋してくれていた営業担当だ。彼はパソナのグループ会社にいて、人手が足りないので手伝ってほしいと声をかけてくれた。

3カ月の就業が終わり、送別会の席でのこと。当時の社長に「この後、何かすることあるの?」と聞かれ、水上さんは「なんにも決まっていません。ただできたら、営業をやってみたくて……」と答えた。すると「それならうちで働きなよ!」とその場で入社が決まったのだ。

「私はパソナと出会って社会へ出ることができたので、人生を救ってもらったという恩義を感じていました。社内には研修中のスタッフがいて、毎日一生懸命に学んでいるのですが、その姿が数年前の自分と重なって。未来ある若者たちが社会に出るために努力している姿を見ていて、この子たちのために何かできればという気持ちがすごく強くなっていたときでした」

飛び込み営業からスタート

入社後は、希望通り新卒・第二新卒の就職支援を行うことに。水上さんは雇用先を見つける法人営業を担当した。銀座界隈を任され、「一丁目から八丁目まで全部飛び込んでこい」と上司にいわれ、飛び込み営業からスタート。

「私は飛び込み営業が好きなんです。片思いの人にどうにか振り向いてもらおうとしているときの気持ちと少し似ていて、楽しさもあるというか(笑)」

最初は人事担当者を訪ねても、「今ちょっと忙しいから」となかなか会ってもらえない。しかし、そこでめげずに翌日も訪ねては、資料を置いてくる。何度も通い続けるうちに、先方も話を聞いてみようかと心を動かしてくれ、「では、御社から採用します」といわれたときは本当に嬉しかった。

「若者が活躍できる場を一つでも二つでも増やすことにやりがいを感じました。自分がここでひるんで飛び込まなかったら、新しい雇用が生まれない――。一人でも多くの人たちを社会へ送り出すためには扉を叩いていかなければいけないと、使命感に燃えていましたね」

物怖じせず飛び込む熱意で営業成績はみるみる上がっていった。

予期せぬ4年間のはじまり

2年後にはパソナへ異動。水上さんは、秘書職種の企画営業を担当した。秘書として働く人々に必要な情報を提供するサポートやクライアントに対するアプローチなどが主な仕事だった。水上さんは「取引先に喜ばれる、手みやげ情報交換会」を行ったり、社内で秘書を未経験から育成して企業へ派遣するサービスを立ち上げたり、営業企画をいろいろ進めていくものの、苦戦したという。

「それでも上司が自由にやらせてくださる方で、『成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことだ。100個プロジェクトを作って、1個成功すればよし。新しく何かを始めるということはそういう事だ』と。その言葉がずっと仕事するうえでの指針になっています」

水上さんにとって予期せぬ挑戦が待ち受けていたのは、2014年1月。大型プロジェクトが立ち上がり、役員秘書を探していると相談があった。新組織では仕事内容もどうなるか全くわからない。そのような現場へどのようなメンバーが出向すべきか……。

プライベートでもちょうど転機にあった。多忙な毎日ですれ違いが続く夫と離婚した直後だった。周りの目も気になる中で上司から環境を変えてみてはと勧められ、心機一転、水上さんが引き受けることにしたという。しかし、それからの4年間はなかなか過酷だったようだ。

「人生の中で、あんなに厳しく指導されたことはありません。オフィスが高層階にあって、夕方になると窓から富士山がきれいに見えるんです。富士山を見ながら、『私はなんでここにいるのだろう』と一人で涙したことも。最初は周りに仲間もいないし、いきなり一人で外へ放り出されたような気がして辛かったですね」

「絶対に負けたくない」

秘書をつとめた上司は昔気質で頑固一徹な人。組織を立ち上げたばかりの頃は来客も多く、申し入れがあると、上司に事前に確認して予定を入れていたが、多忙のためすれ違いが起きた際には「俺は何も聞いてない!」と、お客様の前で厳しく指導されることもあった。

さらに面談が続くと、時間もどんどん押していく。15分、30分刻みで来客があるため、「次のお客様がお待ちです」などとメモを差し入れるが、「わかってる!」の一言。待たされたお客様が帰ろうとするので、「間もなくですので……!」と必死に引き止め、もう一枚メモを差し入れに走るということも。

秘書としての経験不足もあるが、些細なことで指導されるのは悔しかった。ある日突然、上司に呼ばれ、「俺は優秀な人を求めているのに、お前が来た。恥ずかしくないのか」と言われた。水上さんは悔しく思い、奮起するバネになったという。

「呼ばれただけで体がビクッとするようになったとき、さすがにまずいと思いました。そのときに私は『秘書という役割だから指導されているだけで、自分の人格を否定されているわけじゃない!』と。だから絶対に負けたくない。どんなに怒られても次の日は笑顔で挨拶するように徹底していました」

送別の言葉

やがて組織も大きくなって秘書室ができると、優しい仲間たちに恵まれた。大会を成功させたいと熱い思いを持つメンバーに感化され、仕事に打ち込んでいく。その頃、水上さんは新たなパ―トナーと出会い、再婚した。

まもなく子どもを授かり、産休に入ることになる。4年もの間がんばってきた仕事を離れる際、上司からいわれた言葉が忘れられないという。

「上司が送別会を開いてくれて、『お前は強い女だな。俺の秘書で挫けなかったのはお前だけだ』と(笑)。その上司らしい言い回しではあるのですが……、そのときの私にとっては最高の賞賛であり、4年間が報われた瞬間でもありました」

肩肘張らずにやったらいい

育休中は慣れない子育てに奮闘するが、可愛い子どもと過ごす日々は穏やかだった。2019年4月にパソナへ復職すると、スタッフHR本部へ。全国で働く派遣スタッフの人事部として様々なサポートをする本部だ。2カ月後には教育企画チーム長に昇進した。

「初めはすごく肩肘張っていたと思います。子育てと両立してちゃんと仕事しなきゃと思ったり、実力以上にがんばらなければと焦ったり。でも、尊敬する元上司に相談すると、『肩肘張らずにやったらいいよ。周りが助けてくれるから』と言われたのです。私も困っていることがあれば部下に話し、一緒にがんばっていこうという気持ちになれました」

子育ても一人で抱えず、夫や実家の両親を頼りにしている。水上さんの母親は元婦人警官で、定年まで働き続けた先輩でもあり、「子どもと一緒にいなきゃいけないと考えるのは親のエゴよ。くよくよ考えずに働きなさい!」と力強く背を押してくれた。

「人を活かす」ということ

現在、水上さんはリレーションズ室長として、8人の部下を率いている。パソナで働く全国の派遣スタッフ向けに、年間100以上の講座やイベントを運営。婦人科検診無料受診やオンラインエクササイズなどの健康サポートから、育児・介護の相談窓口など生活面のサポートも行っている。そうした取り組みには、自身も派遣スタッフからスタートし、現場で多くのスタッフの声を聞いてきた経験が活かされている。

パソナグループの仕事は「人を活かす」こと。派遣スタッフという働き方を選ぶ人たちには、様々なライフスタイルや家庭などの事情もあるだろう。一人一人の立場になって、悩みにも寄り添ってきた水上さんは、「キャリア」についてこう考えている。

「私自身のキャリアを振り返ると、これをやりたいと思って選んできた経験はあまりなくて。むしろ、ご縁がつながって働かせていただいたり、予期せず秘書になってしまったり(笑)。その場、その場で何ができるかという自分の役割を考えて、努力したことが次へつながっている。キャリビジョンを持つことは大事ですが、流れに身を任せるというか、ご縁をいただいたところで自分がどう力を発揮していくかを考えることも新しい成長につながるような気がします」

自分もパソナと出会ったことで、人生を救われたと何度も口にする水上さん。そこで人との縁を大切にし、自分にできることをやってきたことが今につながっている。「あの予期せぬ4年の日々もムダではなかったかな」と、その声は晴れやかだった。