小学校時代からいじめを受け続けた
山田西リトルウルフの「おばちゃん」こと棚原安子さん(81)は、小学校時代からソフトボールに憧れ、中学で念願のソフトボール部に入部。全国屈指の強豪校だった尼崎北高校では、サードでトップバッターというポジションを守り通した。高校卒業後は塩野義製薬の実業団チームで活躍したが、やはりサードを守っていたという。
この経歴だけを聞けば運動神経抜群の体育会系女子の印象だが、意外なことに棚原さんは、小学校時代からいじめを受け続けていたという。
「特に高校時代はひどかった。私は身長が155センチと小さいんですが、同じチームに160以上の大柄な子も何人かいたんで、それがいじめられた原因かもしれません。チームの中に口の勝つ子がおって、もう言いたい放題言われてました」
もちろん、悔しい気持ちはあった。しかし、棚原さんは言い返すことをしなかった。
「女の子は3人寄ったら何とやらで、集まっては『あの子、めっちゃ腹立つなー』とか言い合うじゃないですか。そのターゲットにされてしまったわけやけど、これはいわば女の性やから、いくら反論しても絶対に収まるもんじゃないと判断したんです」
何を言われても平気な子なんて、いない
ついには、いじめグループのメンバーから「この子は何を言うてもこたえへん子や」と“お墨付き”をもらったそうだが、それは違うと棚原さんは言う。
「何を言われても平気な子なんて、世の中にいないんです。すべての言葉がこたえてるんやけど、言い返すか言い返さないかの違いがあるだけ。辛抱してることに、違いはないんですよ」
棚原さんは「サードで1番バッター」というポジションを死守することで、長期間におよんだいじめを乗り越えたという。サードのポジションを争った選手の仲間たちから、「あんたがいるから、あの子が試合に出られなくなったやろ」と因縁をつけられて、いじめの炎に一層油を注いでしまった面もあったが、「1番サード」を守ることは、棚原さんが生きていくために必要不可欠なことだった。
「いじめられて萎えてしまわないためには、エネルギーを湧かす必要があるんです。人間はそういうエネルギーを持てるはずなんやけど、それには、(いじめに対抗することにエネルギーを割くのではなく)違うものにエネルギーを湧かす必要がある。違う方向の体験や学習をたくさんして、自分の活力になっていくものを見つけることが大切なんや」