“よそ者”ならではのドライな視点
発足当初は反発が大きく、気が荒い漁師たちと大喧嘩になることもあった。しかし坪内さんも島の漁師たちも引き返すことはできなかった。
「それこそ取っ組み合いになったこともありましたが、ぶつかることを恐れてはわかりあえないし、直販事業には島の漁業の未来がかかっていたので、前進あるのみでした。土地の人間ではないのにここで生きると決めたのは自然豊かな島の漁業や暮らしが好きだったから。古き良き島の伝統を守りたい一心からでした」
地縁も経験もない坪内さんを漁業に引き入れたのは、萩大島の漁師をまとめる船団長の長岡秀洋さんだ。萩市で翻訳の仕事をしていた坪内さんに声をかけ、収益が激減して消滅寸前の萩大島の漁業再生事業の申請に協力してほしいと頼んだのだ。
「農林水産省認可の6次産業化、生産者直販ビジネスの申請を出すというので、チャンスだと思いました。私は化学物質過敏症でわずかな薬品でも具合が悪くなります。漁師が獲れたての天然魚を直販できれば、安全な食品を探している人に新鮮なまま提供できる。ずっと食に関わって人を助ける仕事がしたかったので、天職だと思いました」
しかし現実は厳しい。地元の漁業協同組合を介さず漁師が魚を直販するとマージンが取れないため漁協の反発は大きい。一方漁師は船のリースや運転資金の融資でも漁協に頼っており、漁協の不興を買うことを恐れる同業者の反対も多かった。
「以前、漁師は市場に魚を持ち込めば収益になっていましたが、温暖化で漁獲高が減って利益が出ず、漁獲制限もあり、大漁で大儲けの時代は終わっています。直販なら漁協の市場に納めるより利益が見込めますが、踏み切れない空気がありました」
そこで坪内さんは“よそ者”ならではのドライな視点から活路を見いだした。直販する魚を限定すること、漁協にも利益が回るように商品代金の振込先を漁協にしたうえ、歩合で手数料を払う提案をしたのだ。
「決裂して魚が漁協の市場に入れられない場合に備えて、千葉の水産会社に魚の買い取り手配をしました。私は大胆なようで実は用心深い、挑戦はしてもギャンブルはしません」
さらに漁協からの融資が止まったときに備え、地方銀行の融資枠も確保。もちろん感情的な壁もあった。「おめえらつぶしてやるけえのう」。船団長の長岡さんの船におどしめいた無線が入ったこともあったそうだ。しかしなんとか漁協と関係を保ったまま直販事業は動きだした。新しいことをするには古い制度を改革しつつ、地域の伝統を尊重し、禍根を残さない努力が肝心なのだ。