不本意でも特許を出願したワケ

2008年には、さらに研究を重ね、mRNAのウリジンを「シュードウリジン」という特定の化学修飾を付けたものに発展させた。このシュードウリジンを施したmRNAを使うと、炎症が抑えられるばかりか、タンパク質の設計図であるmRNAがどんどん細胞の中に入っていき、大量のタンパク質が作られることがわかったのだ。

「驚いたと同時に、本当に嬉しかった。だって、10倍ものタンパク質ができたのですから。長年夢見てきた治療薬や遺伝子治療は、もう夢ではないんだと」(カリコ氏)

大学はふたりの手法を「Kariko-Weissman technique」と呼んで、特許を出願した。

ふたりの連名で出された最初の特許出願が認可されたのは、2012年。その後、mRNA技術に関する特許を9件取得することになる。

しかしこれは、彼女たちの本意ではなかったようだ。

実用化のために下した苦渋の選択

増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)
増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)

「私たちは、最初に作ったヌクレオシド改良型mRNA(ヌクレオシドはmRNAの鎖を構成する単位。ウリジンはヌクレオシドのひとつ)を特許にしたくなかった。私たちはすべての人にこの手法を使ってほしかったから。でも、特許をとらないと誰も開発も投資もしてくれないと言われたからやむをえずそうしたんです」
「お金のためじゃなかったんです」

これだけ大学側に冷遇されても、カリコ氏はブレることはなかった。あとは、これをどう実用化して、病に苦しむ人たちに届けるか。彼女の目標は、常にそこにあった。

誰も乗り越えられなかった壁を乗り越えたカリコ氏たちの成果は、徐々に注目を集めるようになっていった。

増田 ユリヤ(ますだ・ゆりや)
ジャーナリスト

1964年、神奈川県生まれ。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。テレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」でコメンテーターとして活躍。著書に『揺れる移民大国フランス』『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』など多数ある。また池上彰氏との共著に『歴史と宗教がわかる!世界の歩き方』などがある。「池上彰と増田ユリヤのYouTube学園」でもニュースや歴史をわかりやすく解説している。