ワクチン開発成功後の悲劇

新型コロナワクチンの生みの親として、一躍有名になったカリコ氏。その功績が称えられて、ハンガリー本国で数々の賞を受賞したカリコ氏は、2021年5月、授賞式に出席するためハンガリーに一時帰国した。まず会いに行ったのが、高校の恩師トート先生。

カリコ氏の恩師トート先生に取材する筆者
カリコ氏の恩師トート先生に取材する筆者。(写真=YouTubeチャンネル池上彰と増田ユリヤのYouTube学園』より)

恩師を大切にしている彼女らしい行動だなと感心させられていたところに、思わぬ情報が飛び込んできた。

出る杭は打たれる、ということなのだろうか。ちょうどカリコ氏がハンガリー科学アカデミーセゲド生物学研究所で博士課程に進んだころ、まだ社会主義体制下にあったハンガリーでカリコ氏がエージェントに採用されていた記録がある、という情報がSNSやハンガリーの一部右派系メディアで出回っていたというのだ。ここでいうエージェントとは、国家の秘密業務で働く者、つまりスパイのことである。もともとこの情報は、1945〜90年にかけてのセゲドの国家保安庁のネットワークに属した人をリストアップした本に掲載されていたものだという。同書は2017年に出版されたもので、編集者自身も元国家保安庁の幹部だった。

この本によると、カリコ氏は1978年10月31日にエージェントとして採用された。

コード名(スパイ活動する際の別名)は、ジョルト・レンジェルという男性名だった。

1985年からは休職扱いになっていて、これはカリコ氏が渡米した年にあたる。

新型コロナウイルスのワクチンバイアル
写真=iStock.com/franckreporter
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思わぬ質問に、カリコ氏はどう答えたか

こうした報道に対して、ハンガリーの非政権系メディアTelex.huがカリコ氏に質問を投げかけた。これを受けてカリコ氏は、書面で回答をしている。

「1978年に、セゲド生物学研究所の研究員助手として働き始めた時、当局から接触があり、エージェント採用を受けずにはいられない状況になったのは事実です。

当局からは、父が1956年のハンガリー事件に参加したことを『罪深い過去』として持ち出され、もしエージェント採用を受けなければ、私の研究活動をできなくしてやると脅迫されました。父は1957年に執行猶予付きの懲役刑を言い渡され、職場は解雇となり、その後4年間は仕事に就けませんでした。当局のシステムがどのようなものかをそれで知っていたので、恐ろしかった。ですから、採用関連の書類に署名をしました。

しかしその後、私自身が誰かについて報告書を書いたことは一度もありませんでした。誰かを傷つけたこともありません。研究活動を続けるために、国をあとにするしかありませんでした。

過去36年間、私は人々の病気の治癒のために研究活動を行ってきました。私の研究を台無しにされることもなければ、私自身が自分の目標から外れることもありませんでした。

この回答をもって、本件は終わったこととします」