伸びる人はANDで思考するが、凡人はORで思考する

憲法9条の改正には賛成でしょうか、それとも反対でしょうか。あるいは、いわゆる「ブラック企業」と呼ばれる企業は絶対悪だと考えているでしょうか。企業の英語公用語化には賛成か、それとも反対か……。

凡人は、「善か悪か」「白か黒か」「イエスかノーか」「賛成か反対か」という判断軸しか持っていません。これを二元論的思考と呼びますが、彼らは自分の考えと違うことには過剰に反発します。

しかし現実には、二元論的に白黒をはっきり決められることよりも、どちらとも判断のつかないグレーなことのほうが多いものです。

たとえば憲法9条の改正を戦争法案であると一切拒否する人もいますが、反対に戦争の抑止力になるという主張もあります。

ブラック企業問題も、現実には過去にブラック的な働き方をしてきた人がいま社会の中で活躍している現実をどう捉えるでしょうか。

日本を支える起業家のほとんどは若かりし頃、寝食を忘れて仕事に没頭してきた人ばかりです。そう考えると、ブラック的な労働環境は「ハイパー人材養成スクール」という考え方ができなくもありません。

あるいはヤマト運輸。彼らは当初、「郵便物は郵便局しか行ってはならない」という郵便事業法を犯してまで宅配ビジネスに参入して新しい市場と利便性を創り出し、そして法律まで変えさせました。

「法律違反は悪だ」と考えている人に、彼らのような配便事業のアイデアを思いつくことができたでしょうか。

正しさは状況によって変わる

以前、こんな話を聞いたことがあります。

地下鉄の中で、3人の子どもが走り回って騒いでいました。しかし、その父親とおぼしき男性は、下を向いたままほったらかしにしていました。

見かねた隣の女性が、「お子さんが騒いでいるのに注意しないのは良くないですよ。みんな迷惑していますから。」とこっそりと耳打ちをしました。

その男性はハッと顔を上げ、こう答えました。「すみません、気が付きませんで。さっき妻が病院で亡くなり、混乱していたんです」

それを聞いた女性は絶句し、「無責任な父親と、わがままな子ども」という印象が、「妻に死なれて呆然としている夫と、母の死を理解できないかわいそうな子どもたち」という評価に変わったのです。

自分の目の前の状況と、自分の勝手な倫理観で判断し、他人をどうこう言うことが、どれほど愚かなことかがわかります。

少し話がそれましたが、そもそも「正しさ」「正義」「善悪」「正誤」というのは状況や立場によって変わるものだ、ということを紹介したかったからです。

そしてそれを理解するには、自分の頭で考え、相手の主張の裏側を想像して行間を補ったりする必要があるわけで、そのためには、感情を排し、自分の価値観は脇において、客観的な視点で考える必要があります。

しかしそれは面倒くさい。他人の意見の根拠なんて考えたくもない。自分の意見が正しい。自分は間違っていない。だから自分とは違う人は間違っている。自分は変わる必要はない。相手が変わるべきだ。

結果として、他人の意見を尊重することなく、自分の感覚だけで結論を出したがる、というわけです。

コロナ禍のマスク警察や自粛警察がこれに当てはまります。

ではこれがなぜ仕事に影響するかというと、「代案」「よりレベルアップさせる案」「組み合わせる」という柔軟な発想ができなくなるからです。

たとえばA案とB案のどちらが良いか、なんていう短絡的な発想をするのではなく、両方の良い部分を組み合わせて第3の案にすることがあるでしょう。

交渉や問題解決でも、双方の言い分を受け入れて、落とし所を探すと思います。

しかし二元論にとらわれた思考停止人間は「それはダメ」「それはOK」という短絡的な発想しかできないため、成果もそれなりに終わるというわけです。

つまり仕事ができる人は「それもアリ」というANDで発想する一方、凡人は「どちらか」というORで発想する傾向があるという話です。

午堂 登紀雄(ごどう・ときお)
米国公認会計士

1971年岡山県生まれ。中央大学経済学部卒。大学卒業後、東京都内の会計事務所にて企業の税務・会計支援業務に従事。大手流通企業のマーケティング部門を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。2006年、株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。現在は不動産投資コンサルティングを手がけるかたわら、資産運用やビジネススキルに関するセミナー、講演で活躍。『捨てるべき40の「悪い」習慣』『「いい人」をやめれば、人生はうまくいく』(ともに日本実業出版社)など著書多数。「ユアFX」の監修を務める。