「自分の無知がさらされる」恐怖
自分自身が「この人は苦手だ」と、単に思い込んでいるケースもあります。もともと人は自分の知らないことを相手が知っていると「自分の無知がさらされる」「自分のポジションが危うくなる」など、恐れの感情がわいてきます。恐れは嫌い、苦手と近い感情ですから、こういった人に出会うと「あっ、苦手」と、ざっくりととらえてしまうのです。これは非常にもったいないことです。質問形式でもいいので、どんどんその人から話を聞き出したほうがいいですね。
本来、誰にとっても世の中は知らないことだらけなのに、現代社会ははったりが必要な場面が多いので、知識が必要と思いすぎている人が多い。でも「これはどういうことですか? 知らないので教えてください」と相手に聞いて、その人がていねいに教えてくれたら、苦手どころか「あの人、最高に面白い!」となるかもしれないのです。
「教えてください」と言って嫌がる人は、あまりいませんから、そもそも気持ちのいいことが起こりやすい。それをせずに苦手と決めつけるのは本当に惜しいことです。ぜひ実験的にトライしてみてください。
妄想が膨らんで苦手になるケース
「あのときに、あの人からこんなことをされた」という記憶から、苦手になるパターンです。
これは、そもそも事実かどうか怪しい。たとえば「あの人があなたのことを低く評価したらしい」と同僚から聞いたとしても、そこから「あの人は昔から私のことを低く評価している」「あのときも誘われなかった」と考えるのは妄想です。まず、それが事実かどうか、冷静に検証することが第一の解決法になります。
妄想ではなく、約束にすっぽかされた、遅刻したなど、本当に何かされた場合は、約束や時間を守るのが大事と思っている人からすると、自分の中の大事な価値観が裏切られたと感じて苦手になるわけですね。
ただ、これは一回の事件やできごとで「あの人は苦手」と決めつけて、自分から人との関わりを減らしている可能性があります。この場合、過去の出来事を自分の中で再編集するのがおすすめです。
過去を捉え直す「リチュアル」
具体的には、自分の機嫌がいいタイミングに、そのときの出来事を思い浮かべます。たとえば散歩が好きな人なら、散歩をしているときに、そのときの出来事を思い浮かべると「あれも愛だったんじゃないかな」と、記憶がポジティブに再編集されます。それを何度か繰り返すと、記憶の書き換えが完了し、一人でもんもんと頭を抱え込むこともなくなります。
自分が良い状態のときに、違う捉え方を試みてみると「あんなものの見方をするのは、もうやめよう」と思える。これを「リチュアル」と呼びます。訳すと「お作法」ですね。お坊さんは、いつもリチュアルがあります。お線香をあげて、手を合わせて、お経を読む……そのたびに感謝をするくせがついているのです。
過去を捉え直すことを、例えば散歩や洗顔という心地の良い習慣の中に組み込むことで、ポジティブに物事を捉えることが生活の中に溶け込んでいきます。反対に、落ち込んで自分の状態が悪いときに1人で考えても良い方向には進みませんので避けましょう。