夫婦で稼ぐ部下世代に心がざわつく昭和おじさん
――結衣の上司・池辺部長は、いかにも“昭和おじさん”という感じで保身一辺倒。読んでいて怖くもなりました。
【朱野】私も池辺を書きながら「こんな悪い人、いないだろう」と思っていたけれど、読んだ人に「普通に会社にいます」と言われました。不思議なのは、池辺部長のように自分の給料が高いと、他の人のことはどうでもよくなっちゃうんですよね。
その一方で、池辺は実は誰よりも年収にこだわっていて、それがアイデンティティにすらなっている。奥さんが専業主婦なので、自分が稼がなきゃいけないという気負いや、なんとしても会社にしがみつかなければいけないという悲壮感もありますよね。自分より下の世代、結衣たちは共働きで、ひとりひとりの年収はたいしたことなくても2人足すとそれなりの金額になるので、「夫婦で稼いでいます」と言われると、心がざわっとするんじゃないかと。
この所得では結婚も子どもも無理
――「自分さえ良ければ他の人はどうでもいい」という心理に陥りがちな組織人の怖さが描かれていました。
【朱野】池辺よりもっと無関心な人もいますよね。上の世代には若い人が貧乏だということを知らない人もけっこういる。例えば「なんで今の若者は車を買わないんだろう」とすごくピュアに言ってくるような人に、ぜひこの小説を読んでほしいけれど、そういう人は読んでくれない。
私も氷河期世代ですが、40代になるまでは「自分たちの給料って低かったんだ」と気が付かなかった。同世代で比べると、みんな低いけれど、上の世代の人は同じ年頃にはもっともらえていたし、そのときは消費税も低く社会保険料も少なかったということで計算していくと、実質賃金で比べると驚くほど低い。それを考えずに“足るを知る”という精神にさせられているところはありますね。
でも、この所得では結婚もできないし子どもだって簡単には作れない。若い人はもっと怒ってもいいのだと思います。経済的に余裕がないと不安だし、どうしても他者の権利を認めづらくなって、いろんなヘイトの感情も起こってしまう。そこをボトムアップしないまま、「他者の権利を大事にしましょう」と言われてもなかなかできないですよね。20代の頃からそこに疑問があったので、今回は、それが書けてよかったなと思います。
構成=小田慶子
1979年東京都生まれ。会社員生活を経て2009年、『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。2015年、『海に降る』がWOWOWでドラマ化される。2018年に刊行した『わたし、定時で帰ります。』は働き方改革が叫ばれる時代を象徴する作品として注目を集める。