結婚は「女房」という職分を果たす人のリクルーティング

このような「家」における最大の目的は、「家」が継続することでした。これは武士も庶民も変わりません。人々の生活はそのためにありました。ですから夫婦関係も、この目的に適合するように構成されました。まず「家」において夫婦関係を成立させるための結婚は、「家」同士の契約だと考えられていましたが、結婚する当事者の意見が無視されることはありませんでした。庶民の結婚は仲人が証人になることが必須条件であり、「家」の属する村などの共同体の承認が重要だったので、共同体の人々への披露が大規模に行なわれました。武士の場合は主君の承認が必要でした。

男性が妻を迎えることは、「家」において「女房」という職分を果たすのに適合的な人物をリクルートするという意味でしたから、その職分に合わない時には、簡単に離婚することが行なわれました。手続きは異なりますが、離婚は夫、妻どちらからも要求することができました。庶民においては、離婚の際に夫から「三行半」といわれる離縁状を交付することが必要とされていましたが、それは夫による一方的な離婚の宣言ではなく、離婚したことの証明書でした。それがあることにより、両者がそれぞれ再婚することができたのです。武士は離婚も主君に届ける必要があったので、こうした手続きは必要とはされませんでした。

東映太秦映画村内のセット
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「三行半」を詳細に検討した高木侃氏によれば、離婚の理由は男女とも不倫から身持ちの悪さ、性格の不一致まで現代とあまり変わりません。そして重要なのは、妻からの「飛び出し離婚」も多いということです。離婚したい妻は、実家に戻って帰って来なかったり、仲介してくれそうな有力者の家に駆け込んだり、最終的には縁切寺に駆け込んだりして、離婚の仲介がなされるように求めました。そして、離婚の決着まで有力者や仲人、親族による仲介が行なわれ、円満な解決がめざされたのです。

「離婚」は女性のキャリアになる

高木氏によれば、当時は一度結婚した女性は「家」の職分に関する経験を積んだと評価され、離婚したことがマイナスに働くことはなかったといいます。そうであれば女性たちは簡単に離婚し、また再婚しました。高木氏の『三くだり半』には、江戸から明治にかけて78回結婚した女性の例が紹介されています! つまり結婚して「女房」という職分を経験することは、女性にとってのキャリア形成だったということなのです。そして別の男性との再婚は、女性にとっての転職だったということでしょう。現代でも、少し前までは結婚することを「永久就職」といったりしましたが、これは妻になることをキャリアと考える意識の名残かもしれません。