妻の独立性が高く、「苗字」を変える必要もなかった

このように江戸時代の「家」における夫婦は一体ではなく、かなりの独立性を保って自分の職分を果たしていました。こうした妻の独立性は、「家」に関わるほかの事項についても見ることができます。

そもそも女性たちは、結婚後も自分の姓を変えることはありませんでした。つまり「夫婦別姓」だったのです(主として女性が結婚により姓を変えるようになったのは、明治民法によります)。「姓」は自分の出自を表すと考えられていたので、女性は結婚後も依然として自分の生まれた「家」の姓を名乗りました。それは、女性が結婚しても、「実家」におけるメンバーシップを保ち続けるという意識があったためだろうといわれています。こうして見ると妻は、自分の「家」(実家)から婚家に出向した社員のようなものだったと考えることができるかもしれません。

「家父長制」は、江戸時代の日本では成立していなかった

結婚における財産権の移動に関しても、このような考え方の影響が見られます。この時代でも妻が自分の財産権を持っており、つまり自分の財産は好きなように使えたのです。女性が結婚しても、彼女の持っていた不動産、持参道具、婚姻中に取得した財産は、妻の所有になりました。妻の持参金や持参不動産は夫のものになりましたが、離縁した時には妻の実家に返還されました。

また、親族が亡くなった場合の喪に服するやり方についても、独立性が見てとれます。血族が亡くなった場合には夫と妻がそれぞれ独立して喪に服することが、幕府の法令に定められていました。それによれば、妻も夫も、相手の血族のために喪に服する必要はなく、自分の血族についてだけ喪に服しました。また、夫の父母が亡くなった場合妻が喪に服する期間は、自分の父母の場合より短い規定となっていました。

そして刑事罰においても、妻は、夫の尊属より自分の尊属に対する罪の方が、重く罰せられるようになっていたのです。妻は、生前の寺請けにおいて生家の寺に属することもあり、また死んだ後も、妻と夫が別々の寺に葬られることも珍しくありませんでした。

これらを見ると、女性は自分の「家」に片足を置きつつ夫の「家」に出向したような状態であり、夫も妻も、すべて自分の生まれた「家」を優先したのだということができるでしょう。このように「家」の夫婦関係においては、夫も妻も独立した立場を持っており、男性が女性に権力を行使するという「家父長制」は、江戸時代の日本では成立していなかったと考えられるのです。

中村 敏子(なかむら・としこ)
政治学者、法学博士

1952年生まれ。北海学園大学名誉教授。75年、東京大学法学部卒業。東京都職員を経て、88年北海道大学法学研究科博士後期課程単位取得退学。主な著書に『福沢諭吉 文明と社会構想』『トマス・ホッブズの母権論――国家の権力 家族の権力』。翻訳書に『社会契約と性契約――近代国家はいかに成立したのか』(キャロル・ぺイトマン)。