正式な雇用契約もないまま、ブラック医療法人で働いていた
実は、こうして意見を発信している私自身、恥ずかしながらつい最近まで「ブラック企業」ならぬ「ブラック医療法人」に所属していました。そしてそのブラックな事実の数々は、経営者側がCOVID-19の疑われる発熱者の診療体制を現場の従業員の意見を無視して一方的かつ強引に決めたことをきっかけに、次々と明らかになったのです。
私が勤務していたクリニックは、この医療法人が運営する複数の診療所のうちの一つで、戸建てではなくビルの一室にある、いわゆる「ビル診」。出入り口が一カ所しかなく、発熱した感染疑いの患者さんと一般の患者さんのゾーンを分けられない状況でした。待合室で院内感染が拡がるリスクが避けられない構造だったのです。空間的分離が不可能なため、苦肉の策として「一般外来」と「発熱外来」の時間帯を分けて診療する時間的分離を行うことにしたのですが、経営者側は「それだと患者が減ってしまう。同じ待合室でも2メートル空けて座らせればいいではないか」と不満を示しました。
実際、発熱者を受け入れ始めたところ、発熱患者さんは、せいぜい1日に数人ほどである一方、一般外来の患者さんは受診を怖がり激減。すると経営者側は「分離によって患者数が減った。時間で分離するな」と指示してきました。私とベテラン看護師はこの経営者側の指示する「一般・発熱ごちゃ混ぜ外来」に最後まで反対し、せめて時間的分離をと主張し続けましたが、今度は「指示通りにしないとクリニックを閉めざるをえない」と脅しをかけてきたのです。
転職を決意、雇用保険未加入であることを知る
こんな危険な考えのところでは働けない、そして閉院となれば失職してしまうと危機感を覚えた私は、急遽転職を決意。
私自身、労働条件変更は口頭での通達のみ、雇用契約書も提示されずという、一般社会の中では通用しえない非常識な状態にありながら、唯々諾々とこの医療法人に十数年以上も勤務してきたうえに、さらに今回の退職で自分の雇用保険が未加入とされていた事実を初めて知るなど、自らのあまりの無知と無関心、それによって自分自身ばかりか同僚や患者さんをも守ることができなかったという無力感をイヤというほど味わわされたのでした。このブラック医療法人については、ここには書ききれないほど悪辣なので別途私のウェブマガジンに「さらばブラッククリニック」と題して連載を始めましたが、本稿はいわばそういった「自戒」でもあるのです。
満足ができる働き方を実現するためには理論武装が必要
私はコロナ禍以前から、感染症の蔓延を引き起こしかねない一斉休暇や皆勤賞に疑問をもち、「病気を引き起こす社会」に警鐘を鳴らしてきました。そういう意味では、多様な働き方の推進は歓迎すべきことなのですが、それはあくまでも労働者が主役でなければなりません。労働者不在の働き方・休み方改革、経営者にによる「多様な働かせ方改革」となると話はまったく変わってきます。
これから起きるであろう法改正とシステムの大変革をみすえ、私たち労働者も「受け身」の思考停止をやめて、雇用と賃金と生活を守り、私たちにとって満足できる働き方を創り出すために、そしてけっしてブラック企業に屈しないために理論武装をしておくべきときに来ているのではないかと強く思います。自戒を込めて。
構成=井手ゆきえ
1968年生まれ。医師。10年間、外科医として大学病院などに勤務した後、現在は在宅医療を中心に、多くの患者さんの診療、看取りを行っている。加えて臨床研修医指導にも従事し、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。2024年3月8日、角川新書より最新刊『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』発刊。医学博士、臨床研修指導医、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。