父は、家の隣にある診療所で毎日遅くまで働いていました。父は私を医者にしたいとは言わず、「やりたいのならやればいい」と言っていました。いつも大きな愛情で私を包んでくれていました。父の言葉「何があっても、パパの子どもだから大丈夫」は、悩んだり、迷ったりしたときの心の支えになっています。父は母を愛していたように思います。私はストレスで髪を抜いたり、チックの症状が出たりしていたのですが、それが母の異常な行動と関係しているとは父も気づけなかったようです。

薬物依存に陥り、家にアンプルや注射器が散乱

幼いころから、母の機嫌が悪くならないように、怒らせないように、母の顔色を見ながら生活する毎日。母の期待に応えようと必死でした。それでも母に褒められた記憶はありません。おしゃれが好きな人だったので、誕生日プレゼントにマニキュアを買って渡したのですが、「ありがとう」と言われることはありません。

それでも、自分の家庭が普通だと思っていました。近所の小学校に通っているなら、わかったのかもしれませんが、電車に乗って家から離れた学校に通っていたので、友人の家に遊びに行く機会はほとんどなく、母親とはどこもこんなものだろうと思っていましたから。悲しい気持ちにはなりますが、おかしいと思ったことはありませんでした。

研修医時代の1枚。医学生からこのころの出来事をまとめた『女医の花道!』がベストセラーに。
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小学校の高学年くらいからでしょうか、家の中にアンプルや注射器が散乱するようになったのは。父が母の痛みを和らげるため、痛み止めを渡していたのですが、母の求めに応じて徐々に強い薬を出すように。母は元看護師なので、そのうち、父の目を盗んで鎮痛剤を持ち出すようになっていたのです。注射器を手に何かに取りつかれたような母の姿を見て、ゾッとしました。そんな状況でも、家出するとか非行に走ろうという気持ちはありませんでした。どんなときも、「私が家庭を守らなくては」と思っていましたから。