日本だけに生き残った「幻の賛美歌」

「『讃美歌略解(後編・曲の部)』によれば、「この曲の出典は不詳。音楽的に価値の高い曲ではないが、わが国で広く愛唱されているので、この版に残された。原曲は前半の16小節に記譜法上了解し難い点が多かったので、原作曲者の意図をできるだけ尊重しつつ、小泉功が全般的に譜を書き改めた」(290頁)とあるので、おそらく1931年版に、原曲に近い形で同曲が収載されていたのではないかと予想できる。したがって敗戦時に「うるわしの白百合」が歌われたとしても問題はない」

その後、さらに調べた上で、以下の補足を送った。

「1931年版『讃美歌』にもしっかりと「うるわしの白百合」が収録され(509番)、歌詞もほぼそのままであることが確認できた。大正から昭和初期に、とりわけ女子学生の間で愛唱されたようである」
「しかし、19世紀にアメリカで創られたこの曲は、宗教的内容が乏しい、音楽的にも価値が高くないとの評価で、早くからアメリカの歌集からは姿を消してしまった。多く愛唱されているという理由などで、日本だけに生き残ったもので、1954年版『讃美歌』でも「雑」という項目に分類されていた。1997年に『讃美歌21』が発行された時に、そのような理由から残念ながら消えてしまった賛美歌のひとつである。おそらく高齢の方々には懐かしく思われる方も多いと思われる」

歴史的事実と矛盾のない「設定」を提案

このような経緯で、急遽、この場面は、台本通りではなく、薬師丸ひろ子さんが「うるわしの白百合」を歌われることとなった。ここで私が悩んだのは、先述した通り、関内家は聖公会という設定であり、歴史的には、「うるわしの白百合」は聖公会の『聖歌集』にはなかった、という点である。

そこで、私は、以下のような設定を提案した。<光子は、名古屋にある1889年創立の金城女学校の卒業であり、学校で良く「うるわしの白百合」を歌い、親しんでいた。光子が焼け跡で拾い上げたのは、日本聖公会『古今聖歌集』ではなく、金城女学校時代に彼女が大切にしていた『讃美歌』だった>。

ある日本聖公会中部教区司祭の、聖公会信徒の祖母は、金城女学校卒であり、「うるわしの白百合」は実質的に「第2校歌」として愛唱していたという。また、日本聖公会の信徒の中にも、「うるわしの白百合」を故人愛唱聖歌と指定される方は少なくない。したがって、光子が、「うるわしの白百合」に親しんでいたことは、何の不思議もない。