社長になりたいと思ったことは一度もない
しかし、孤独を感じながら頑張り続けられる人はそう多くない。黒須さんにそれができたのは、根っこに父の会社だからこそ守らねばという責任感があったためだという。
父の勧めで気軽に入社したものの、初めから無意識のうちに会社のことを自分ごととして捉えていたのだ。頑張り続けられたのは、この「当事者としての責任感」が原動力になっていたからではないだろうか。
タイセイの上場後、黒須さんは今後はチームでcottaを運営していこうと考え、自ら人材を集めて「TUKURU(ツクル)」を立ち上げる。専門チームをつくったことで通販事業はますます成長し、やがてタイセイの売り上げの半分以上を占めるようになった。
そして2016年、入社して6年が経った時に取締役就任。若い社員が増え、経営層にも若手が必要だと思い始めた矢先だったため、会社のためになるならとごく自然に受け入れた。ただ、この頃もまだ後継者としての意識はなかったという。
「社長になりたいと思ったことは一度もありませんでした。でも、取締役になった頃から、父が『一線を退きたいから早く継いでくれ』と言うようになって。私は勘弁してくれって断り続けていたんですよ(笑)」
双子出産の翌年に社長就任
事業の中心がお菓子屋向けから一般消費者向けに移り、父親は時代の変化や世代交代の必要性をひしひしと感じていたのかもしれない。だが、当時の黒須さんは第一子を出産したばかりで子育ての真っ最中。子ども、会社、自分の3つを同時に幸せにしていける自信がなく、また子どもは3人ほしいと思っていたため、なかなか首を縦に振らなかった。
ようやく社長就任を引き受けたのは2020年。双子を出産した翌年のことだった。結果的に、父親は子どもが3人になるまで待ってくれたのだ。私生活での望みがかなったこと、自分の社長就任が会社にとって最善と説得されたことから、「やっと腹が決まりました」と笑いながら振り返る。
社長交代に際して、社内から反対の声はまったくなかったという。cottaの業績も黒須さんの頑張りも、社員の誰もが認めていたからだろう。そして就任から2カ月後、タイセイは社名をcottaに変更。2代目社長のもと、新たなスタートを切った。
この流れを見ると、社名変更は黒須さんの初の大仕事のように思えるが、実は父親の決断。何年も前から再三「新たなスタートを」と言い続けており、社長交代のタイミングでようやく実現できたのだという。