地元瑞浪を世界に発信したい
翌年、幸枝さんは精力的な活動を開始。玉川釉薬で働きながら清掃活動のボランティア団体を設立し、仲間と協働する楽しさに目覚める。やがて組織運営やビジネスに興味が募り始め、ついには「もっと知見を広めたい」と上京を決意。入社から数えて7年後、玉川釉薬を退職した。
「父は私が徐々に変わっていく姿を見てくれていたみたいで、最終的には東京行きも応援してくれました。ちょうど義兄(尋子さんの夫)が後継ぎとして入社してくれることになった時だったので、タイミングもよかったんだと思います」
上京後は、ベンチャー企業やNPOなどでプロジェクトマネジャーとして働き、ビジネスの立ち上げ方や組織マネージメントなどを勉強。およそ3年後、知識と人脈と自信を得て、実家のある岐阜県瑞浪市や地場産業の魅力を発信する「合同会社プロトビ」を起業する。
それまで、一貫して外の世界ばかりに惹かれてきた幸枝さん。いったんは飛び出したはずの地元や家業に、なぜ目を向けるようになったのだろうか。
「ビジネス仲間に家業のことを話したら『すごいじゃん』って言われて。『地元も家業もすばらしいんだから、もっと世界に発信するべきだ』って背中を押されたんです。そこから、地元の地域に貢献できるような新規事業ができないかと思うようになりました」
姉は釉薬職人に、妹も家業に復帰
東京では地域や地場産業の魅力を発信し、岐阜では工場見学イベントなどを通してまちづくりやものづくりをサポートする──。そんな2拠点での事業展開が軌道に乗ってきた頃、家業に“二度目の一大事”が起きた。
家業を継ぐはずだった尋子さんの夫が、仕事が合わないと感じて退職を決めたのだ。当時、尋子さんは子育てのために仕事を離れていたが、父親の落胆ぶりを見かねて現場に復帰。最初は事務を担当していたが、やがて父親の技術を受け継ぐため釉薬職人になる決心を固めた。
その後、幸枝さんもまた後を追うようにして家業に復帰する。プロトビの拠点を東京から瑞浪市に移し、オーダーメイドタイル事業に取り組みながら玉川釉薬の広報や役員も兼務。「姉が一生懸命家業を守っているのに、自分だけ東京で好きなことをしていていいのか」と悩んだ揚げ句の決断だったという。
2人が再び合流してから3年。彼女たちの言葉からは、互いを信頼し尊敬している様子がうかがえる。幸枝さんが「姉は『女性に釉薬職人は無理』という固定観念を打ち破った人」と自慢すれば、尋子さんは「妹が釉薬の魅力を発信してくれるようになってやりがいが大きくなった」とうれしそうに笑う。
釉薬職人の姉と起業家の妹。家業を守り発展させていく上で、彼女たちは最強のコンビかもしれない。古き良き技術を受け継ぎながら、手を携えてものづくりの未来を築き上げていってくれそうだ。
玉川釉薬 役員
1982年生まれ。2003年、玉川釉薬に入社。顧客営業と釉薬製造を担当したのち結婚・出産に伴って一時休職。現在は現場に復帰し、父親の後を継ぐ職人として営業や釉薬の研究開発・製造に取り組んでいる。小学6年生と幼稚園年長の2児の母。
玉川 幸枝(たまがわ・ゆきえ)
玉川釉薬 役員/合同会社プロトビ・TILEmade 代表
1984年生まれ。2003年、玉川釉薬に入社。勤務を続けながら世界一周やボランティア活動を行ったのち退職。上京してビジネスを学び、プロトビを起業。2017年、オーダーメイドタイルのブランド「TILEmade」を立ち上げる。同年より拠点を瑞浪市に移し、家業や地場産業の活性化に取り組んでいる。