井戸尋子さんと玉川幸枝さんは4人姉妹の次女と三女。実家は、岐阜県瑞浪市にあるタイル釉薬の製造工場だ。「家業を継ぐ気なんて全然なかった」と言う2人が今、力を合わせて会社を盛り立てているワケとは──。
玉川釉薬の玉川幸枝さん(左)と井戸尋子さん(右)姉妹(写真提供=玉川釉薬)
玉川釉薬の玉川幸枝さん(左)と井戸尋子さん(右)姉妹(写真提供=玉川釉薬)

家業を継ぎ、姉は業界唯一の女性職人に

焼き物の産地として知られる岐阜県東濃地域。井戸尋子さん、玉川幸枝さん姉妹が働く「玉川釉薬」は、ここでタイル釉薬の開発製造を行っている。

釉薬は、タイルや陶磁器の素地をコーティングするうわぐすりで、色や質感の決め手にもなるもの。美しいタイル貼りのキッチンや浴室を、インテリア雑誌などで見たことがある人も多いのではないだろうか。

釉薬職人の尋子さん(写真提供=玉川釉薬)
釉薬職人の尋子さん(写真提供=玉川釉薬)

仕上がりの美しさとは裏腹に、その製造現場には厳しさがともなう。工場内は、冬はマイナス10度、夏は熱気で40度にもなり、釉薬の入ったポリタンクやサンプルのタイルはかなりの重さ。タイルメーカーが要望する色をきっちりと出す「色合わせ」にも高い技術が必要なため、職人には体力と技術の両方が求められることになる。

姉の尋子さんは、そうした厳しい職場で、父親の後を継ぐ釉薬職人として活躍中だ。当初は「力仕事だから女性には無理」と言われたが、もともと負けず嫌いな性格。周囲も驚く頑張りぶりで、地元の釉薬業界では最も若く、かつ唯一の女性職人に成長した。

都会の生活を満喫していた大学時代

大阪で大学生活を満喫していた尋子さん。アルバイト先のカフェで(写真提供=玉川釉薬)
大阪で大学生活を満喫していた尋子さん。アルバイト先のカフェで(写真提供=玉川釉薬)

今は業界でも紅一点の釉薬職人として働く尋子さんだが、以前は自分が職人になるとは夢にも思っていなかったという。高校卒業後は大阪の大学に進学し、都会での暮らしを満喫。友達と遊んだりおしゃれなカフェでアルバイトをしたりしながら、将来はマスコミ業界を目指していた。

「小さい頃から釉薬職人の父の背中を見ていて、こんな大変な仕事は絶対にしたくないと思っていました。継いでほしいと言われたこともなかったし、将来は『都会でキラキラした仕事に就くんだ』って夢見ていましたね(笑)」

「2年だけ家業を手伝って」父の頼みで大学を中退

それが急転したのは大学3年生の時。父親と一緒に家業を支えていた母が体調を崩し、父親から「地元に帰って2年間だけ手伝ってくれ」と頼まれたのだ。家業の一大事とあっては断れるはずもなく、大学を中退して帰郷。玉川釉薬に入社したものの、夢と違いすぎて心がついていかず、毎日めそめそしていたという。

家業での仕事は、父親の営業先に同行する外回りから始まった。釉薬業界では、職人が営業も兼務するのが一般的。特に父親は経営者でもあったため、工場内で釉薬をつくるだけでなく、顧客との打ち合わせも大事な仕事のひとつだった。

尋子さんはそれまで、「お父さんは仕事ができる完璧な人間」だと思っていたそう。ところが、営業先で顧客から「頼んだ色と合っていない」と言われて頭を下げる場面を目にして、父親も苦労しているということに気づく。私が色合わせできるようになって助けてあげたい──。そんな思いが大きくなっていった。

「結局、ここで働き続けているのは、根底に父を助けたいという思いがあるからだと思います。父は昔ながらの“不器用な職人”タイプの人。経営者としてもどこか不器用な部分があって、そこに新しい風を吹き込んでくれたのが妹なんです」

世界を夢見た妹も、家業のためにUターン

妹の幸枝さんも、大学を中退して家業に入ったという経緯は同じだが、その後は尋子さんとまったく違う道を歩んできた。

大学時代は国際開発の世界を目指し英語を専攻し、将来の夢は世界を見て回ること。当時の自分を「田舎の工場で働くなんて全然頭になかった」と振り返る。

「手伝ってくれと言われた時は、予想外すぎてびっくりしました。でも父の切羽詰まった思いが伝わってきたので、『じゃあ2年だけやります』と。入社後は母に代わって事務を担当していましたが、やっぱり世界への夢が捨て切れなくて……」

「ピースボート」でエジプト・カイロを訪問中の幸枝さん(右端)写真提供=玉川釉薬
「ピースボート」でエジプト・カイロを訪問中の幸枝さん(右端)(写真提供=玉川釉薬)

昼は玉川釉薬で働き、夜は英会話の勉強を続けていた幸枝さん。やがて英語学習教材の会社が主催する懸賞論文に応募し、見事選ばれてアイルランドの語学学校へ短期留学が実現。この時、会社から2週間の休みがもらえたため、「味をしめて」次は3カ月の世界一周旅行に飛び出した。

国際交流しながら船で世界を回る「ピースボート」での旅。乗船時は田舎で働く自分に向き合えず、将来の展望もまったく見えなかったが、世界を回り、さまざまな仲間と出会い刺激を受けるうち心が前向きになった。自分の可能性に自分でフタをしていたと気づき、ここからが再スタートと晴れやかな気持ちで船を降りた。

地元瑞浪を世界に発信したい

翌年、幸枝さんは精力的な活動を開始。玉川釉薬で働きながら清掃活動のボランティア団体を設立し、仲間と協働する楽しさに目覚める。やがて組織運営やビジネスに興味が募り始め、ついには「もっと知見を広めたい」と上京を決意。入社から数えて7年後、玉川釉薬を退職した。

「父は私が徐々に変わっていく姿を見てくれていたみたいで、最終的には東京行きも応援してくれました。ちょうど義兄(尋子さんの夫)が後継ぎとして入社してくれることになった時だったので、タイミングもよかったんだと思います」

2017年、東京で行われた「プロトビ」設立3周年のパーティで。岐阜県瑞浪市に戻る直前の幸枝さん(前列中央)写真提供=玉川釉薬
2017年、東京で行われた「プロトビ」設立3周年のパーティで。岐阜県瑞浪市に会社を移した直後の幸枝さん(前列中央)(写真提供=玉川釉薬)

上京後は、ベンチャー企業やNPOなどでプロジェクトマネジャーとして働き、ビジネスの立ち上げ方や組織マネージメントなどを勉強。およそ3年後、知識と人脈と自信を得て、実家のある岐阜県瑞浪市や地場産業の魅力を発信する「合同会社プロトビ」を起業する。

それまで、一貫して外の世界ばかりに惹かれてきた幸枝さん。いったんは飛び出したはずの地元や家業に、なぜ目を向けるようになったのだろうか。

「ビジネス仲間に家業のことを話したら『すごいじゃん』って言われて。『地元も家業もすばらしいんだから、もっと世界に発信するべきだ』って背中を押されたんです。そこから、地元の地域に貢献できるような新規事業ができないかと思うようになりました」

姉は釉薬職人に、妹も家業に復帰

東京では地域や地場産業の魅力を発信し、岐阜では工場見学イベントなどを通してまちづくりやものづくりをサポートする──。そんな2拠点での事業展開が軌道に乗ってきた頃、家業に“二度目の一大事”が起きた。

家業を継ぐはずだった尋子さんの夫が、仕事が合わないと感じて退職を決めたのだ。当時、尋子さんは子育てのために仕事を離れていたが、父親の落胆ぶりを見かねて現場に復帰。最初は事務を担当していたが、やがて父親の技術を受け継ぐため釉薬職人になる決心を固めた。

姉の尋子さん(手前)と打ち合わせをする幸枝さん写真提供=玉川釉薬
取引先と打ち合わせをする幸枝さん(奥)(写真提供=玉川釉薬)

その後、幸枝さんもまた後を追うようにして家業に復帰する。プロトビの拠点を東京から瑞浪市に移し、オーダーメイドタイル事業に取り組みながら玉川釉薬の広報や役員も兼務。「姉が一生懸命家業を守っているのに、自分だけ東京で好きなことをしていていいのか」と悩んだ揚げ句の決断だったという。

2人が再び合流してから3年。彼女たちの言葉からは、互いを信頼し尊敬している様子がうかがえる。幸枝さんが「姉は『女性に釉薬職人は無理』という固定観念を打ち破った人」と自慢すれば、尋子さんは「妹が釉薬の魅力を発信してくれるようになってやりがいが大きくなった」とうれしそうに笑う。

釉薬職人の姉と起業家の妹。家業を守り発展させていく上で、彼女たちは最強のコンビかもしれない。古き良き技術を受け継ぎながら、手を携えてものづくりの未来を築き上げていってくれそうだ。

井戸 尋子(いど・ひろこ)
玉川釉薬 役員
1982年生まれ。2003年、玉川釉薬に入社。顧客営業と釉薬製造を担当したのち結婚・出産に伴って一時休職。現在は現場に復帰し、父親の後を継ぐ職人として営業や釉薬の研究開発・製造に取り組んでいる。小学6年生と幼稚園年長の2児の母。
玉川 幸枝(たまがわ・ゆきえ)
玉川釉薬 役員/合同会社プロトビ・TILEmade 代表
1984年生まれ。2003年、玉川釉薬に入社。勤務を続けながら世界一周やボランティア活動を行ったのち退職。上京してビジネスを学び、プロトビを起業。2017年、オーダーメイドタイルのブランド「TILEmade」を立ち上げる。同年より拠点を瑞浪市に移し、家業や地場産業の活性化に取り組んでいる。