自信喪失する中で、母がカリスマリーダーならば、私は調整型のリーダーになろうと気持ちを切り替えるように。そんな私の心の動きに気づいたのでしょうか。2年前、正式に母から代表の座を引き継がせたいと打診され、悩みながらも引き受けることにしました。社会的意義のあるこの事業を存続・発展させることは、もはや使命だと感じています。
専業主婦になろうとするも家庭の事情で仕事に復帰
母の父、私の祖父は東京大学教養学部の前身となる旧制第一高等学校出身。学徒出陣で出兵し、帰還後、実家のある福島県の新聞社で記者をしていました。そこで役員秘書をしていた祖母と知り合い結婚。母が生まれ、4年後には叔父が誕生。その後、防衛庁(現・防衛省)に転職することになり、母が5歳のときに一家で東京へ。実直で勉強熱心な祖父ですが、当時ならではの「女の子だから……」といった育て方はしなかったそうです。
一方、専業主婦の祖母は楽天的で天真爛漫な人。そんな2人に愛情深く育てられ、母は自由でのびのびと育っていったのですね。小学校創立以来、初の女子児童会長になるほど活発な子どもだったようです。長じて、めざしたのは海外旅行が珍しい時代の花形職業、キャビンアテンダント。でも、就職試験前に体調をくずして断念。そんな矢先にアナウンサーの入社試験に合格し、当時人気のテレビ番組「アフタヌーンショー」の司会アシスタントを務めていました。
その後、ベンチャー企業を経営していた父と結婚して寿退社。母も祖母に倣い、結婚して家庭に入り、子どもを手元で育てようと考えていたようですが、父の事業がうまくいかなくなり、私が3歳のときにフリーアナウンサーとして仕事に復帰。しかし、子どもを預ける場所がなく、私は千葉県にある祖父母の家に預けられることに。「娘を安心して預け、娘にも豊かな時間を与えられるベビーシッターサービスがあればいいのに」と感じたこのときの実体験が、後のポピンズ起業へとつながります。
母に会えるのは週末のみ。でも、寂しいと思ったことはありません。平日は祖父母がそばにいてくれますし、週末は、母がずっと私と向き合ってくれましたから。近くの図書館に行って2人で本を読み、お昼はデパートのお子さまランチ。午後は公園に行って四つ葉のクローバーを集めたり……温かい思い出ばかりです。母のすごいところは、オン・オフの切り替えがとてもうまいところ。私の前で仕事をするそぶりを見せたことはありませんでしたし、私の前では“私のためだけに存在してくれる人”でしたね。