コロナ禍で突きつけられる根源的な問い
未知のウイルスというのは、不確定性の象徴です。このような時には、根本について考えさせられますし、視野を広くせざるを得ません。例えば、本当にこの仕事をしたかったのか、ここに住みたかったのか、そもそも生きるとは何だろうか、というように。読者のなかにも、このような根本的な問いについて考えた方は多いのではないでしょうか。
現に、私の実感では「幸福学に興味があります」とおっしゃる方が増えたように感じます。どうすることが幸せか、生きる本質を、皆が問い直しているように思います。
今回の新型コロナウイルスで言えば、このウイルスの猛威が去ることを、ぐっと小さくなって待っている人がいます。一方で、新たな世界でどんどんチャレンジしようとする人、適応しようと努力する人がいます。これは会社でも国でも同様です。つまり、世界が二極化しているのです。
前者としては、緊急事態宣言が解除されると、すぐに出社したり、自ら進んで通勤を再開した人もいます。意外とあっさり戻ってしまった人と、新しい働き方に適用しようと進化する人と、二極化が明らかになりました。
前者の多くの人は、変わることに不安を感じているのだと思います。
危機的状況の中でも幸せを見いだせる人の力とは
まず大切なことは、怖がらないことです。こんなことを言うと不謹慎に聞こえるかもしれませんが、どうせいつか、死は皆に平等に訪れます。急に病気になるかもしれないし、明日、事故に遭うかもしれない。誰のもとにも不確定なことが起こりうるのです。
今回、新型のウイルスという不確定な事象が、全世界に同時に起こりました。人類全体に同時に不確定なことが起きたという意味ではまれなことです。しかし、不確定なことは、実は、これまでも、これからも、全ての人に起こることです。
人は必ず、つらいこと、予想すらしなかったことを経験します。誰もが悲しくて、つらいことを経験し、豊かな人生を終えるのです。私は仕事柄、常にそういうことを考えていますから、いつ死んだとしても悔いのないよう生きようと思い、日々を過ごしてきました。ですから、新型コロナウイルス禍においても、何も変わりません。授業や打ち合わせ、講演などがすべてオンラインになっただけで、本質的な仕事は変わっていません。単に、リモートでやるなど、新しいやり方に適応すればいいだけの話なのです。