日本経済はスペインかぜの影響はほぼなし!?

スペインかぜ(1918~1920)は、RNAウイルスであるインフルエンザウイルスが変異した「新型インフルエンザ」です。今日の新型コロナウイルス同様、世界中で大流行しました。別にスペインが感染源ではありませんが、流行当初がちょうど第1次世界大戦の終盤だったため、各国が軍の弱体化を悟られないよう情報統制した結果、ニュースは中立国であったスペインからばかりになり、この名がつきました。ちなみに大戦での戦死者が1500万人なのに対し、スペインかぜによる死者は、2000万人以上にものぼりました。

日本の被害も甚大なものでした。最初の患者はなんと力士で、当時日本の統治下にあった台湾巡業から戻った力士のうち、3人が肺炎症状を起こして亡くなったそうです。

スペインかぜは世界的に3回の感染ピークがありましたが、日本では患者数・死者数の推移が「2100万人(死者26万人)→240万人(死者13万人)→22万人(死者3700人)」とピークのたびに大幅に減り、最終的には当時の人口5600万人のうち42%が感染したことで集団免疫を獲得し、終息しました。

これは、世界で見られた傾向と、ほぼ同じです。

内務省衛生局の発表した「予防心得」によると、当時の日本の対策は「病人に近づくな・人の集まる場所に行くな・マスクを着けろ・病人と部屋を分けろ・医者が許可するまで外出するな」などで、ほかにも学校の休校やイベント類が中止されるなど、驚くほど今日と同じです。これは当時がすごいというよりも、今が進歩していないのか、はたまた感染症への心得は、100年経っても変わるものではないということなのでしょうか。

ちなみに1918~1920年の日本経済には、意外なことにスペインかぜの影響はあまり見られません。その理由としては、この時期、死者は出ても主要な経済活動を止めなかったこと、景気を大きく左右したのは、第1次世界大戦による「大戦景気→反動不況」によるものだったなどが考えられます。

資本主義の芽を育てたペスト

ペストはコロナと違い、細菌性の感染症です。クマネズミに寄生したノミから感染し、その感染力の高さから、過去に3回(6・14・19世紀)のパンデミックがあります。致死率が約7割と非常に高く、2回目のパンデミック時には、なんと世界全体で1億人もの人々が死亡しました。これは当時の世界人口の4分の1にあたります。

そして、この2回目のときに、欧州では公衆衛生と経済で大きな動きがありました。まず公衆衛生では、国家による感染者の個別調査や強制隔離、都市封鎖(ロックダウン)、国境での水際対策や軍による検疫、社会的距離を保つための1m棒の持ち歩きなどが実施されました。

また経済では、都市で人口減少(逃亡や死亡)に伴う労働力不足が発生し、賃金が高騰したため、農民たちが都市に流入。それを見た荘園領主たちが農民の減少を阻止するために、農奴に土地を貸与し賃金を支払う「小作農方式」を導入しました。

つまりペストの流行は、欧州に労働者と小作農というお金で動く要素(つまり資本主義の芽)を育んだのでした。