楽観的すぎる上司に危うさを感じたら

また、医師としては会議の場面も気になります。プレゼンを聞くだけの会議ならいいのですが、議論するとなるとつい声を張り上げてしまう人も出てくるでしょう。大きな声を出すと、それだけ飛沫も飛びやすくなります。

議論をする際はできるだけ広めの部屋で間隔をあけて座り、小さな声でも届くよう、各自がハンディーマイクを使うなどの工夫をしてみるのもよいかもしれません。

難しいのは、社内で危険度の認識に差がある場合です。多くの職場では、感染を心配して念入りに対策したい人と、細かいことまであまり気にしたくない楽観的な人とが職場内で混在している場合は、お互い大きなストレスを感じることになります。そしてその職場の方針は、決定権を持つ人が心配派なのか、それとも楽観派なのかで決まってしまうことでしょう。

上司が楽観派で、部下の大半が心配派の場合は、皆で声を上げることで解決に向かう可能性があります。問題は、上司も心配派であるにもかかわらず、実際に行っている対策が適切ではない場合。

新型ウイルスということもあって、その不安感から、企業や学校は思い思いの感染対策をしている状態です。感染拡大を防ごうという熱意はとても強く伝わってくるのですが、少し冷静になって振り返ってみてください。「それって本当に感染対策になっているの?」と疑問に思う対策も少なくないかもしれません。

熱意が空回り「残念な感染対策」とは

身近なところでは、スーパーやコンビニのレジでの対策が挙げられます。飛沫対策として、レジの前にビニールを吊り下げている店も多いのですが、こまめに消毒をしていなければ、ついた飛沫がそのままの汚いシートがぶら下がっているだけということに。さらに空気の循環を妨げていると思われるケースもあるようです。これではせっかくの対策で、かえって不潔な空間を作ることになってしまっています。

店員さんがつけている手袋も同様です。レジを打ち、カゴや現金やカードをさわったのと同じ手袋で次の客の食材に触れるわけですから、どこかの段階で手袋にウイルスが付着したら、それが以降の客の品物に移動していくことになるのです。

本来、手袋は素手にウイルスがつかないよう、あるいは汚染した素手でさわることで清潔なものを汚染してしまわないようにつけるもの。感染対策として使うのなら、店員さんは同じ手袋をつけっぱなしにするのではなく、客1人ごとに手袋を変えるか、手袋はつけずにその都度手を洗うか消毒する必要があります。「面倒くさいし、そんなことをイチイチ現場ではやっていられない。非現実的だ」と思われるかもしれませんが、感染対策とはそういうものなのです。その面倒くさいことをしなければ意味をなさないばかりか逆効果にすらなってしまうのです。逆効果になるくらいなら、何もせずコロナ前のまま、今まで通りのままの方がよっぽどマシと言えるでしょう。

職場での対策にも、同じことが言えるのではないでしょうか。例えば、会社では密にならないよう気を配っているのに、満員電車の原因になる「定時出社」は守らせる。黙ってデスクワークをしている時にはマスクをつけるのに、昼食などで大声で談笑する場面では外す。せっかく一方で神経質に対策しても、もう一方では穴だらけ。単なる「やっている感」だけになってしまってはいないでしょうか。