初の管理職にワクワクするも壁に直面

31歳のときスイス本社に長期出張。多様な国籍のメンバーとともにプロジェクトに取り組んだ(写真提供=ネスレ日本)
31歳のときスイス本社に長期出張。多様な国籍のメンバーとともにプロジェクトに取り組んだ(写真提供=ネスレ日本)

この「ファンづくりプロジェクト」は、お客様に一番近いコミュニケーターを中心に、企画をはじめプログラムに関わる社内外すべての担当者が一丸となってお客様に向き合うものだったという。ネスレ日本のこの取り組みは、ネスレグローバルの中でも先進的な事例として注目を集めた。

ネスレはスイスに本社を置くグローバル企業だ。当時、本社ではお客様の声を経営に生かすためのプロジェクトが立ち上がっており、各国の現地法人からチームメンバーとして2名の募集が行われた。そこで選ばれたのが嘉納さんだった。

英語が得意だったわけではない。スイス行きが決まってから慌てて語学スクールに通ったものの、「現地に行ったらやっぱり大変でした」と笑う。チームメンバーの助けで仕事自体は無事にやり終えたが、英語力や異文化理解力、そして自国文化の知識など、自分に足りないものを痛切に感じたという。

「それでも、新しい経験がたくさんできて、スイスでの生活はとても充実していました。でも、ある日予定より早く帰って来いと言われたんです。お客様相談室の室長にという話でしたが、正直帰りたくありませんでした(笑)」

この時、嘉納さんのモチベーションはピークに達していた。帰りたくない気持ちもあったが、スイスで学んだことを日本でどう生かそうかとワクワクしながら帰国したと語る。

ところが、待っていたのは厳しい現実だった。当時、日本の食品業界はいくつかの不祥事の影響を受け、お客様からの信頼が揺らいでいた。ネスレ日本のお客様相談室にも問い合わせが増え、嘉納さんは対応の難しさをあらためて知ることになる。

お客様からの厳しい指摘や「責任者と話をしたい」という要望に、自ら電話対応をする日々。お客様対応に精いっぱいで、スイスでの経験を生かす隙などなく、さらに管理職としてチームをまとめる余裕もまったくなかった。

この時期のことを、嘉納さんは「何もできない自分に自己嫌悪ばかりが募った」と振り返る。しかし、責任者としての日々のお客様対応の中でも、貫き続けたことがひとつある。それは、最初に入社した大手損保会社での失敗が原点になっていた。