消費者対応、メディア広報、企業広報と、約20年のキャリアを一貫してコミュニケーションを専門に歩んできた嘉納未來さん。けれど、若手時代には気負いすぎて電話口で相手に激怒されたことも。今も戒めとしている最初の失敗とは──。

お客様相談室の派遣社員からスタート

嘉納 未來(かのう・みき)さん
写真=ネスレ日本提供

「元々はすごく人見知りなので、ずっとお客様対応や広報の仕事をしているのは自分でも不思議。心を開いて接してくださる、たくさんの方々に出会えたおかげだと思います」

明るい笑顔と、優しく親しみのこもった口調が印象的な嘉納さん。人との対話を大切にする姿勢は、人見知りという自覚ゆえに培われたものなのかもしれない。大学時代に「対話を通してサービスを提供し、誰かに喜んでもらいたい」と思うようになり、消費者対応業務を中心に就活。大手損保会社の事故対応部門で社会人としてのスタートを切った。

希望通り顧客と直接対話する仕事ではあったが、話せるのは事故という緊急事態の時だけ。「もっと普段の生活に寄り添うような対話がしたい」と退職し、お客様相談室のコミュニケーターを募集していたネスレ日本で、派遣社員として働き始める。

嘉納さんのはつらつとした対応ぶりが目を引いたのだろう。翌年、上司から声がかかり、「ネスカフェ」のファンを対象にしたプログラムの、新しいコールセンターに正社員として迎えられる。消費者対応という点は同じでも、このコールセンターに期待されていたのは「積極的なファンづくり」。電話してきたお客様との友達のような関係をつくるスキルが求められた。

「お客様がコミュニケーターを友達だと思ってくださるように、1本の電話で最低6分はおしゃべりしてほしいと言われました。対話を通してホッとしていただいたり、喜んでいただいたりするための取り組みで、まさに私がしたかった仕事でした。本当に楽しかったです」

初の管理職にワクワクするも壁に直面

31歳のときスイス本社に長期出張。多様な国籍のメンバーとともにプロジェクトに取り組んだ(写真提供=ネスレ日本)
31歳のときスイス本社に長期出張。多様な国籍のメンバーとともにプロジェクトに取り組んだ(写真提供=ネスレ日本)

この「ファンづくりプロジェクト」は、お客様に一番近いコミュニケーターを中心に、企画をはじめプログラムに関わる社内外すべての担当者が一丸となってお客様に向き合うものだったという。ネスレ日本のこの取り組みは、ネスレグローバルの中でも先進的な事例として注目を集めた。

ネスレはスイスに本社を置くグローバル企業だ。当時、本社ではお客様の声を経営に生かすためのプロジェクトが立ち上がっており、各国の現地法人からチームメンバーとして2名の募集が行われた。そこで選ばれたのが嘉納さんだった。

英語が得意だったわけではない。スイス行きが決まってから慌てて語学スクールに通ったものの、「現地に行ったらやっぱり大変でした」と笑う。チームメンバーの助けで仕事自体は無事にやり終えたが、英語力や異文化理解力、そして自国文化の知識など、自分に足りないものを痛切に感じたという。

「それでも、新しい経験がたくさんできて、スイスでの生活はとても充実していました。でも、ある日予定より早く帰って来いと言われたんです。お客様相談室の室長にという話でしたが、正直帰りたくありませんでした(笑)」

この時、嘉納さんのモチベーションはピークに達していた。帰りたくない気持ちもあったが、スイスで学んだことを日本でどう生かそうかとワクワクしながら帰国したと語る。

ところが、待っていたのは厳しい現実だった。当時、日本の食品業界はいくつかの不祥事の影響を受け、お客様からの信頼が揺らいでいた。ネスレ日本のお客様相談室にも問い合わせが増え、嘉納さんは対応の難しさをあらためて知ることになる。

お客様からの厳しい指摘や「責任者と話をしたい」という要望に、自ら電話対応をする日々。お客様対応に精いっぱいで、スイスでの経験を生かす隙などなく、さらに管理職としてチームをまとめる余裕もまったくなかった。

この時期のことを、嘉納さんは「何もできない自分に自己嫌悪ばかりが募った」と振り返る。しかし、責任者としての日々のお客様対応の中でも、貫き続けたことがひとつある。それは、最初に入社した大手損保会社での失敗が原点になっていた。

最初の失敗と上司の尽力がキャリアの糧に

「事故対応では、ご契約者様だけでなくお相手の方ともお話をします。ある時、お相手の方が『自分は悪くない』と言い張るもので、つい遮って『それはおかしいですよ』と強く言ってしまったんですね。まだ若くて気負っていましたし、自分は100%ご契約者様の味方だという思いもあったんだと思います。そうしたらものすごい反撃に遭いました」

この時は、あまりの言われようにトイレに駆け込んで大泣きしたそう。きつい言葉で反撃する相手も大人気ないが、消費者対応はとにかく話を聞くことが基本。これを怠ると解決は必ず遠ざかっていく。

嘉納さんは基本をおろそかにした自分を反省し、以来「相手の話をしっかりと聞くこと」「早く切り上げようと近道しないこと」の2つを胸に刻んだ。ネスレ日本での消費者対応に際してもこれを大切にしたという。

次に、嘉納さんは広報室長としてメディア対応を任されることになった。それまでのネスレは、「ネスカフェ」「キットカット」などの製品ブランドに関するコミュニケーションは活発だったが、企業そのものに関する情報発信にはあまり活発なイメージがなかったそう。しかし、2008年ごろを境に方針が一転。新たに広報室長になった嘉納さんにも、「攻めの広報をせよ」という指令が下った。

このミッションに「お客様と1対1で向き合うだけでも疲労困憊こんぱいしているのに、メディアの後ろにいる無数の人を相手に話すなんて無理」と、つい後ろ向きに。この時背中を押してくれたのは、派遣社員時代から世話になっていた男性上司だった。

「私が疲れているのを感じとっていたようで、広報という新しい仕事でリフレッシュしたらどうかと言ってくれたんです。私が消費者対応業務にこだわっていると、『30代前半で自分のできる範囲を決めつけるな』とも。振り返ると、節目節目でいつもこの方が私のキャリアを引っ張ってくれました」

派遣社員から正社員として新たなコールセンターに移った時も、引き抜いてくれたのは同じ上司。スイス出張の話が出た時は応募するよう強く勧め、英語が苦手な嘉納さんのために面接にも同席してくれた。そしてお客様相談室長に指名し、今回は広報という仕事に向き合えるよう背中を押してくれた──。部下に次のステップを用意して成長させようとする姿勢は、上司のかがみと言えるだろう。

その上司の引退後も、年に1度は食事に誘って近況報告をしているのだとか。現役時代は恐れ多くて食事に誘うなどできなかったそうだが、今は会えば数時間はしゃべりっぱなし。上司にとっても、かつての部下の成長は大きな喜びになっているに違いない。

嘉納未來さんのLIFE CHART

役員就任は「会社がポテンシャルに賭けてくれた」

40代前半、広報・情報の専門職大学院に入学。仕事と学業の両立は大変だったが無事修了式を迎えた(写真提供=ネスレ日本)
40代前半、広報・情報の専門職大学院に入学。仕事と学業の両立は大変だったが無事修了式を迎えた(写真提供=ネスレ日本)

広報室長の仕事は大変だったが、嘉納さんは在任中の約8年間で大きく成長。どうすれば記者に興味を持ってもらえるかを考えて対話を続け、各メディアと良好な関係を築くことに成功した。

「向き合う相手はお客様からメディアに変わりましたが、コミュニケーションという面では大事なことは同じ。感情が先立ちそうになる時は最初の失敗を思い出すようにして、今も日々自分を戒めています」

ポジションが上がると、プレッシャーや「言うべきことは最後まで言い切らねば」という思いから、つい聞くことをおろそかにしがち。そんな時は消費者対応の原点に戻って、相手の立場に寄り添うよう心がけているという。

その後、嘉納さんは社外広報部門の部長に就任。コミュニケーションの相手は、メディアに加え行政や地域、有識者など社外のステークホルダーにまで広がった。

責任範囲が広がると、それだけの知識や確固たる自信も必要になってくる。嘉納さんはそこを補おうと、講演者養成講座や広報・情報の専門職大学院に通い始めた。職場のある神戸から学校のある東京へ、時間をやりくりしながら通う日々。ところが入学して1カ月後、突然執行役員の職を打診される。

「自分はまだ発展途上なのにって、正直気が重かったです。でも、会社は私に役員の力量があるから昇格させたのではなく、ポテンシャルに賭けてくれたのだと感じました。『チャンスはあげるから後は自分次第だよ』と言われた気がして、じゃあ挑戦させてもらおうと」

就任してもうすぐ丸3年。ほかの役員の姿を見て自分の至らなさを痛感させられることばかりだが、意思決定者としての自覚は確実に芽生えた。管理職時代から悩み続けてきたリーダーシップについても、「Be yourself(自分らしくあれ)」という言葉に出会って演じようとしていた自分に気づき、気負いすぎるのをやめた。

「今後は、『私はこの仕事をやり遂げた』って胸を張って言えるような実績を残したいです。まだまだ点ごとに仕事をしていて、それを線で結ぶような戦略性は持てていません。私はどこかでブレークスルーしたくて考え続けています」

お客様相談室から出発して、人や仕事との出会いを繰り返してきた嘉納さん。その過程で多くの刺激を受け、自分の新しい一面を発見しては成長につなげてきた。これからも自社と社会との関係構築に取り組みながら、自身のブレークスルーを目指していく。

役員の素顔に迫るQ&A

Q 好きな言葉
笑う門には福来たる

Q 愛読書
地球家族―世界30か国のふつうの暮らし』ピーター・メンツェル他
「食と海外文化が大好き。このフォトエッセイ集で世界各地の食事を見て楽しんでいます」

Q 趣味
旅と食

Q Favorite item
文庫革の財布・名刺入れ・キーケース
「兵庫の伝統工芸『文庫革』がお気に入り。決まったものを集めることは少ないのですが、これだけは気づいたら増えていました」