父母の思い出も歌詞に込めて大ヒット

デビューから3年後にヒットした『部屋とYシャツと私』は、結婚する親友のために書いた曲。実は冒頭の歌詞は両親の話なんです。父はお酒を飲むのが好きで新婚時代のある夜、酔いつぶれてなぜか実家へ帰ってしまったそう。ひとり待っていた母は、すごく寂しくて泣いていたと聞きました。

私も結婚に憧れはあったけれど、病気を抱える自分にはできないと思っていました。激しい痛みで病院に担ぎ込まれるたび、子宮の摘出手術を勧められる。お医者さんには「お子さんを授かるのは無理です」とも言われていました。それでも手術を拒み続けたのは、やはり母親になる夢を諦めきれず、希望の芽を自ら摘みとるものかという気持ちがあったからです。

その後、人生のパートナーと出会い、「赤ちゃんができた」とわかったときは夢のようでした。母も信じられないようで唖然とし、エコーの写真を見せると「えーっ!」と大喜び。出産のリスクも大きかったので心配して東京までよく来てくれました。

母親になってからは日々驚くことばかり。娘との時間を過ごしながら、幼い頃にもっと母と一緒にいたかったと思いました。

当時のわが家には看護師さんも住んでいて、薬屋さんなどの出入りも多いので、家に帰っても母とふれ合う時間が少なかった。だから、私は娘を仕事場に連れていくことはしませんでした。保育園や保育ママさんに預かってもらい、家庭ではしっかり娘と向き合うようにしたのです。

デビュー30周年の母への贈り物

母も孫ができたことでずいぶん変わりました。父も母も若返って元気になり、孫と過ごす時間や旅行も楽しむようになりました。娘も年頃になると、私に対する不満をおばあちゃんにこっそり話したり、私も娘の不満を母に漏らしたりと、母が中継地点の役割を果たしてくれています。

『部屋とYシャツと私~あれから~』では、母になって「ママ」と呼ばれ、夫が浮気しても〈子どもを守るからひとりで逝って〉と変わりゆく女心の機微を描く。「『新作』と呼べる続編をつくりたかった」と愛理さん。
『部屋とYシャツと私~あれから~』では、母になって「ママ」と呼ばれ、夫が浮気しても〈子どもを守るからひとりで逝って〉と変わりゆく女心の機微を描く。「『新作』と呼べる続編をつくりたかった」と愛理さん。

そんな娘が巣立ち、私もデビュー30周年を迎え、『部屋とYシャツと私~あれから~』をリリースしました。実はあの新婚夫婦のその後を書いてほしいとずっと言われていたのですが、なかなか書けずにいたのです。でも、両親の老いを感じ、子どもが巣立つ背中を見送る世代になったからこそ実感できる心情がある。それを書けるのは今しかないと、覚悟を決めて書き上げました。

完成した曲を母もすごく真剣に聴いてくれました。最後のところに〈人生の記念日には 君は綺麗といって 私を名前で呼んで〉というフレーズがあります。これは、残りの未来に向かって本当の愛を育んでいこう、という気持ちを込めたラブソング。私が両親を見ていて感じたことで、母への贈り物でもありました。

シングルマザーとしてがんばってきて、やっと娘も巣立ってくれたという安堵あんどもある。2019年の母の日には初めて娘に「ありがとう」とハグされて、思わず涙が出ました。ここから私の第二の音楽人生が始まるような気がしています。

構成=歌代幸子 撮影=国府田利光

平松 愛理(ひらまつ・えり)
シンガーソングライター

1964年生まれ。兵庫県神戸市出身。89年、アルバム『TREASURE』、シングル『青春のアルバム』でデビュー。92年、新婚女性の気持ちを愛らしくもシニカルに表現したシングル『部屋とYシャツと私』がミリオンセラーに。日本レコード大賞作詞賞などを受賞。現在もブライダルソングとして歌い継がれている。2019年8月、デビュー30周年を記念してシングル『部屋とYシャツと私~あれから~』をリリース。数多くのアーティストへの楽曲提供や執筆活動も行っている。