※本稿は、Jini『好きなものを「推す」だけ。共感される文章術』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
「推し」の本懐は共感され、相手を動かすこと
友人や家族に、あなたが好きなコンテンツや人について語っても、相槌を打たれただけで、相手が前かがみになって「え? 何それめちゃくちゃ興味ある!」と食いついてくれたことはなかなかないと思います。
それを振り返ってわかる通り、「推し」は大抵の場合、一方的なものです。いくら身振り手振りで「こんなに素晴らしいんだ」「かっこいいんだ」「かわいいんだ」と伝えようとしても、かえって相手にひかれて「へぇ……」と返されてしまう、そんな自己満足的な会話で終わりがちなのです。
自分がいいたいことをいうだけなら簡単ですが、そこに対して理解、共感、同意を得ることは非常に難しい。
なぜなら、「好き」「嫌い」の話になってくると途端に、人の重要な価値観に触れることになるからです。子供の頃に食べていたお菓子を今でも愛好している人が少なくないように、人の好みは案外変わらないものなのです。
私がお伝えしたい「推し」とは、共有される推しです。
ステレオタイプなオタクのように、自分が思った推しへの愛を言葉にしても相手には伝わりません。まして無数の、赤の他人が見ているインターネット上ならなおさらです。友人ならお互いの好みを熟知しているので共感しやすいことでも、不特定多数の他人では勝手がまったく異なります。
これまでSNSを触れたことがない人は、「今の若い人はどうして他人同士でコミュニケーションが取れているのだろう」と不思議に思うかもしれません。
では、相手に共感されるような推しとは何か? それを考える上では、「推し」という行為そのものを分析してみることが有効でしょう。