インターネットが生んだ「共鳴の時代」
「発見」「感動」「表現」、ここまでが「もののあはれ」に現れる日本の中世以前から脈々と受け継がれてきた伝統ある文化なのだとすれば、「共鳴」はとても現代的であり、興味深い過程だと思います。
ほんの数十年前まで、私たち庶民の表現は「日記」でした。万葉集に歌を掲載される貴族から、批評を寄稿する研究者、物語を紡ぐ作家などが、自らの「発見」と「感動」を「表現」にまで昇華できたのですが、実はこれはとても貴いこと。
かつて歌を詠むのは身分の高い人だけに許されたことで、現代にいたっても世界に溢れる表現は、優秀なキャリアを持つ記者や、頭脳明晰な教授、類い稀な才を持つ歌人など、「表現」とは凡人が持ちえない圧倒的な何かを持つ人にのみ許された、特権だったわけです。
しかし、ごく一部の「表現」があったところで、私たちはそれにただ「共感」することはできても、その共感を「表現」できるのは、せいぜい、誰にも見せない日記だけ。
ところがインターネットが発達し、加えてSNSが流行するようになり、誰にも見せることができなかった日記を、世界中に公開することが許されるようになると、人々は自分たちが感動し、表現したことに対して、ただ共感するだけでなく自分も表現を返せるようになりました。
ステージ上でアーティストが素晴らしい演技をした上で、数千人の観客がそのパフォーマンスに対してさらなる「表現」を重ね、さらにその「表現」に返事をしたり、「いいね!」を押すことで、さらに「表現」を繰り返す。
この、感動と表現を相互的に行き来できる時代を、私は「共感の時代」ではなく「共鳴の時代」だと考えています。
一つとして同じ「推し」はないから面白い
「発見」→「感動」→「表現」→「共鳴」。
この四つの過程を経た先にあるのが、今でいう「推し」であると私は定義しています。
推しは一見、何気なく行っていることですが、その間には人間的に重要なプロセスをたくさん踏んでいます。というのも、すべてのプロセスが主観的なのです。
何を発見し、何に感動し、どう表現し、誰と共鳴するか。すべてはあなたが決め、あなたにしかできないことです。だからこそ、推しは面白いのです。
ゲームジャーナリスト、批評家、編集者。2014年にブログ「ゲーマー日日新聞」を立ち上げ、2500万PVを達成。noteにて有料マガジン「ゲームゼミ」を開設し、フォロワー24000人突破。ゲームメディアの副編集長を務めつつ、TBSラジオ『アフター6ジャンクション』にもレギュラー出演。魅力的なゲームを各地で「推し」ながら、ゲームの文化的価値を研究している。
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noteにて日本初となる独立型ペアウォールゲームメディア「ゲームゼミ」を主宰。1500人もの購読者を抱える。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」準レギュラーのほか、ラジオ、テレビ、雑誌でも活動する。