どんなに苦しくても自分を良い状態に保つ
大事なのは外部サービスや制度を活用し、人に助けてもらいながら乗り切ること。社内ではテレワークを取り入れ、いつでもどこでも仕事ができる体制にしていた。
一方、自分の体力や気力をキープすることも必要。田原さんは子育ての経験から心がけてきたことがある。
「中学生の娘が心の病を抱えたとき、罪悪感に苛まれた私がカウンセラーに言われたのは、『母親が落ち込むと皆が落ち込み、自己否定するほど周りも悪くなる』と。だから社員や家族にもなるべく愚痴を言わず、落ち込まないよう心がける。自分を良い状態に保つことを大切にしました」
アロマセラピーを取り入れたり、出張先では温泉でリフレッシュしたり。もし自分が倒れたら、家族全員の生活も崩れてしまうからだ。
しかしその先に、さらなる試練が待ち受けていた。数年前に乳がんで片胸を切除し、毎月定期検診を受けていた妹が頭痛を訴えた。診断は脳腫瘍の末期、余命3カ月ほどと告げられたのだ。妹は即入院となり、介護が必要な両親を預けられる施設を探さなければならない。だが、父母は症状が異なるので同じ施設に入れないうえに、どこも数カ月待ちの状態。やむなく父は以前入所していた施設へ、認知症が始まっていた母はグループホームへと、家族3人がばらばらの施設へ入ることになった。
妹に付き添う田原さんは大病院で苦しむ姿を見かね、本人の希望で小規模多機能型居宅介護施設へ移す。父は施設の食事が合わず、やせ細っていったので差し入れを欠かさなかった。
「お父さん、少し元気になりましたよ」と看護師に言われた2日後、出張先の金沢で訃報を知らされる。奇しくも田原さんの誕生日だった。仕事を終えて広島へ向かうと、穏やかな顔の父がいた。その3カ月後、妹も最期のときを静かに迎えた。
あれから3年、今、介護と仕事を両立した日々を田原さんは振り返る。「仕事を続け、社会から必要とされることは、自分が生きていくための支えになると思う。何より自分自身の人生を生き抜くことが大切だと思うのです」
子育て時代の親友や家族にも支えられた。かつて「ママ、辞めたほうがいいかな」と漏らしたとき、「働くママが好きだよ」と励ましてくれた娘たちはもう社会人。今はそれぞれの道を歩む娘たちを見守り、彼女たちにとっての仕事もまた生きがいになるようにと願っている。
構成=歌代幸子 撮影=市来朋久
日本ナレッジ・マネジメント学会理事。1959年生まれ。関西学院大学卒業後、外資系人材派遣会社、経営コンサルティング会社を経て、98年にベーシックを設立。「気づき・考える」人材の育成と実績向上に寄与。全都道府県で指導した会社は1300社以上、育てた営業パーソンは12万人以上。2015年、16年と全日本能率連盟賞を受賞。『家族の病気はあなたへのメッセージ』(総合法令出版)など著書多数。介護離職防止対策アドバイザー。東証1部上場会社の社外取締役も務める。