頻繁に呼び出されて仕事に支障を来す
「最悪の状況を想定していろいろ聞かれるんです。例えば口から食べられなくなったら胃ろうをするか、今度倒れたらどこの病院に入れるのかと……。忙しい状況を理解してもらえず、頻繁に呼び出されて仕事に支障を来すようになっていきました」
リハビリの病院も3カ月で退院。介護老人保健施設へ移るが、ケアスタッフの対応が気になった。彫刻家であり大学教授であった父は「お絵描きしてごらん」とリハビリを勧められても、ムッとして描かない。施設に入った途端、「おじいちゃん」扱いされる姿が不憫でならなかった。
父も「家に戻りたい」と訴え、田原さんは実家のリフォームを決意。業者との打ち合わせから設計、工事まですべて対応した。さらにケアマネジャーと相談し、訪問看護やリハビリなどのデイサービス、週に何度かお手伝いさんも頼み、どうにか在宅介護を乗り切る体制を整えた。
ところが、父が家へ戻って安心したのもつかの間、家庭に波風が立ち始めた。幼い頃から病弱で実家にいた妹は、介護のストレスを抱えていく。父母と争いが絶えず、毎夜電話で訴えてくる。父母からも連絡があり、絶えまない電話に悩まされた。
そうした日々の中でも年間100日以上の出張をこなし、仕事と両立することはいかに厳しかっただろう。
「介護の最中も仕事は容赦なく進み、責任ある立場では穴をあけるわけにいきません。私が親を見なければという義務感もあり、仕事を辞めようと思うことは何度かありました。それでも心の底では、無意識に、どうしたら仕事を続けられるかを必死に考えていたのかもしれません。もし介護だけに専念すれば、私も追い詰められていたと思うので……」
コンサルという仕事柄、睡眠は平均2、3時間という生活が続く。さらに追い打ちをかけるように母が認知症を発症し徘徊が始まった。父と妹が言い争いになると、母は「ここは私の家ではないわ」と外へ出て、戻ってこない。田原さんはついに限界を感じ、メンターに相談した。
すると、いつも明るく励ましてくれる彼女に背を押されたという。
「親はいつかは死ぬの。親の介護のために仕事を辞めちゃ絶対ダメよ」
そんな田原さんを応援するかのように、母にも変化の兆しがあった。
「母の徘徊が始まったとき、私が『心配で仕事に行けないから、家を出ないでほしい』と頼んだら、『じゃあやめるわね』と。母も長年教師として働いており、仕事が支えになっていたのでしょう。玄関ドアに『祐子が仕事に行けなくて困るから、家を出ない』と張り紙をしたら、ピタリとやめてくれて(笑)。そんな母をすごく尊敬しましたね」