自己愛が強い人ほど陥りやすい落とし穴

自己愛が強いほど、自分には能力がなかったとも、努力が足りなかったとも思いたくない。そのため、「自分が活躍できず、輝けないのはおかしい。何かおかしいことがあるのではないか。誰かがインチキをしているのではないか」と考える人もいる。

たとえば、ある30代の男性会社員は、勤務先の会社での自分の処遇に不満を抱いており、「就職してからまじめに働き、成果もそこそこあげていたのに、同期の奴が先に昇進した。あいつは上司にごまをするのがうまかったから出世しただけで、ズルい。自分はそういうことは得意ではなかったので、上司に煙たがられていたかもしれない。本当は自分のほうがあいつより能力があるし、仕事もできるのに、自分がいまだに平社員なのは納得できない」と愚痴をこぼした。

また、婚活に疲れ果ててうつになった40代の独身女性は、「新入社員の頃憧れの的だった先輩は、私にとても優しかった。私に気があったかもしれないのに、同期の女の子が色気過剰で誘惑して、できちゃった婚した。ズルいと思った。そのショックで私は男性とつき合えなくなった。それが長引いて、この年まで独りだったのだから、あの同期には今でも腹が立つ」と話した。

この二人の話は、まんざらうそではなく、一抹の真実が含まれているとは思う。ただ、能力、努力、魅力などの点で必ずしも同期に劣っていたわけではないと自分に言い聞かせるため、いわば自己正当化の響きがあるように私には聞こえる。

誰かのせいにしないではいられない

もっとも、この程度のことは、実はほとんどの人が心の中で密かにつぶやいているのかもしれない。さすがに口に出すのはためらわれるにせよ、自分のパッとしない現状を誰かのズルのせいにして自己愛が傷つかないようにするくらいのことは誰でも多かれ少なかれやっているのではないか。

こういう他責的な考え方に傾くのは、自分が活躍できず、輝けない現実を受け入れられないせいだろう。自己愛が傷つかないようにして心の平安を保つには、誰かのせいにしないではいられない。

困ったことに、「一億総活躍」というスローガンが声高に叫ばれるほど、この手の考え方が蔓延まんえんする。活躍することも、輝くこともできないうえ、そういう現状に耐えられない人が圧倒的に多いからである。(中略)