※本稿は片田珠美『一億総他責社会』(イースト新書)の一部を再編集したものです。
「一億総活躍社会」が「一億総他責社会」を生む
現在日本社会で起こっている問題と他責的傾向の関連性について考えたい。
まず、「一億総活躍社会」というスローガンである。当たり前だが、このスローガンをいくら声高に叫んでも、みんながみんな活躍できるわけではない。誰か活躍して輝く人がいれば、その裏には必ず活躍できず、輝けない人がいる。
そういう人が、「一億総活躍」という言葉を聞くと、「みんな活躍しなければならない」と発破をかけられていると受け止め、プレッシャーを感じるのではないか。中には、活躍して輝く知人と比べて、自分との落差を痛感し、「自分はダメだ。どうして自分はこんなに情けない人間なんだ」と落ち込む人もいるかもしれない。
このように「自分はダメだ」と思うのはつらい。自分のダメさ加減を認めるのは、もっとつらい。誰にでも自己愛があるからだ。だから、「あの人はあんなに活躍して輝いているのに、なぜ自分は活躍できず、輝けないのか?」という疑問を抱かずにはいられず、自分の納得できる答えを必死で探そうとする。
その答えが「あの人は頭がいいから」「あの人は勉強したから」といったものであれば、他人の能力や努力を認めるわけだから、他責的とはいえない。しかし、そういうふうに考えられる人ばかりではない。
自己愛が強い人ほど陥りやすい落とし穴
自己愛が強いほど、自分には能力がなかったとも、努力が足りなかったとも思いたくない。そのため、「自分が活躍できず、輝けないのはおかしい。何かおかしいことがあるのではないか。誰かがインチキをしているのではないか」と考える人もいる。
たとえば、ある30代の男性会社員は、勤務先の会社での自分の処遇に不満を抱いており、「就職してからまじめに働き、成果もそこそこあげていたのに、同期の奴が先に昇進した。あいつは上司にごまをするのがうまかったから出世しただけで、ズルい。自分はそういうことは得意ではなかったので、上司に煙たがられていたかもしれない。本当は自分のほうがあいつより能力があるし、仕事もできるのに、自分がいまだに平社員なのは納得できない」と愚痴をこぼした。
また、婚活に疲れ果ててうつになった40代の独身女性は、「新入社員の頃憧れの的だった先輩は、私にとても優しかった。私に気があったかもしれないのに、同期の女の子が色気過剰で誘惑して、できちゃった婚した。ズルいと思った。そのショックで私は男性とつき合えなくなった。それが長引いて、この年まで独りだったのだから、あの同期には今でも腹が立つ」と話した。
この二人の話は、まんざら嘘ではなく、一抹の真実が含まれているとは思う。ただ、能力、努力、魅力などの点で必ずしも同期に劣っていたわけではないと自分に言い聞かせるため、いわば自己正当化の響きがあるように私には聞こえる。
誰かのせいにしないではいられない
もっとも、この程度のことは、実はほとんどの人が心の中で密かにつぶやいているのかもしれない。さすがに口に出すのはためらわれるにせよ、自分のパッとしない現状を誰かのズルのせいにして自己愛が傷つかないようにするくらいのことは誰でも多かれ少なかれやっているのではないか。
こういう他責的な考え方に傾くのは、自分が活躍できず、輝けない現実を受け入れられないせいだろう。自己愛が傷つかないようにして心の平安を保つには、誰かのせいにしないではいられない。
困ったことに、「一億総活躍」というスローガンが声高に叫ばれるほど、この手の考え方が蔓延する。活躍することも、輝くこともできないうえ、そういう現状に耐えられない人が圧倒的に多いからである。(中略)
他責的なうつの増加
他責的傾向の強まりは、心の病にも影響を与えている。最近うつ病やうつ状態で受診する方が多いが、従来のうつとは違うタイプが増えており、「非定型うつ病」「ディスチミア親和型うつ病」などと呼ばれる。いわゆる“新型うつ”である。
従来、うつは「きまじめで努力を惜しまない性格の人」に多いとされてきた。実際、几帳面で責任感が強く、仕事熱心で、規範を忠実に守る模範的な人がうつになりやすい印象があった。
このような性格傾向は「メランコリー親和型」と呼ばれ、こういう人が発症しやすい「メランコリー親和型うつ病」では、「自分が悪い」と自分を責める自責的傾向が強い。この手の従来型うつは、抗うつ薬による薬物療法に比較的よく反応し、休養と精神療法を組み合わせることによって、病状はかなり改善する。
従来型うつと新型うつの違い
一方、最近増えている“新型うつ”は、病像が全然違う。職場では元気がなくなり、うつ症状が悪化するのに、趣味や遊びでは活動的になる。つまり、自分の好きなことを楽しんでいると症状が軽くなるわけで、従来型うつの患者が何に対しても意欲がわかず、何をしても楽しめないのとは対照的である。
もともとの性格傾向、つまり病前性格も対照的だ。まず、まじめで仕事熱心とはいいがたく、規範や秩序に抵抗がある。また、他人の何気ない言動に過敏に反応し、自分が無視されたとか、批判されたとか否定的に解釈しがちである。こうした傾向は「拒絶過敏性」と呼ばれ、そのせいで激しく怒ったり、ひどく落ち込んだりすることもある。
たとえば、30代の男性会社員は、上司から「仕事のスピードをもう少し上げられるといいね」と言われただけで、自分の仕事のペースが遅いと批判されたように感じて腹が立ったという。同時に情けなくて、落ち込み、翌朝起きようとすると体が鉛のように重たく感じられて全身がだるく、出勤できなくなった。これは「鉛様疲労感」と呼ばれる症状であり、この症状が一週間ほど続いたため、私の外来を受診した。
慢性化して治りにくい新型うつ
何よりも対照的なのは、従来型うつの患者が自責的なのに対して、“新型うつ”の患者は他責的なことである。たとえば、従来型うつを発症した会社員は「自分が至らなかったせい」と自分自身を責めることが多いが、“新型うつ”を発症した会社員は「会社が自分の能力を正当に評価してくれなかったせい」「向かない部署に異動させられたせい」「上司が自分を理解してくれなかったせい」「同僚が自分を助けてくれなかったせい」などと周囲のせいにして責める。
困ったことに、“新型うつ”は、従来型うつのように抗うつ薬が奏功するわけではなく、慢性化して治りにくい。しかも、「わがまま」「自分勝手」に見えることも少なくない。そのため、人間関係が壊れて、社会生活に支障をきたす深刻な事態を招きかねない。
「わがまま」「自分勝手」に見えるのは、自分がうつと認めることにも、うつで休職することにも抵抗が小さいからかもしれない。従来型うつの患者は、まじめで仕事熱心なためか、休職に抵抗を示すことが少なくなかった。それに対して、“新型うつ”の患者は、休職への抵抗が小さく、中には初診時に「休職の診断書を書いてください」と要求する患者もいて、たじろぐことがある。
もちろん、その背景には、新しいタイプの抗うつ薬、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の発売と軌を一にして、うつに関する啓発が進み、認知度が上がったこともあるだろう。啓発キャンペーンで流された「うつは心の風邪」というキャッチコピーの影響で、精神科の敷居が格段に低くなった。
その結果、以前と比べて精神科を受診しやすくなったことが、心の病による休職への抵抗が小さくなった一因であり、それ自体は決して悪いことではないと私は思う。休職への抵抗が大きいと、つらくても我慢して働き続けたあげく自殺を考えるまで追い詰められかねないからだ。
職場の反感を買いやすい
もっとも、休職への抵抗が小さいと、職場の上司や同僚などから反感を買いやすい。とくに、“新型うつ”の患者は、職場から離れると元気で活動的になるので、本人が休職中に趣味や遊びを楽しんでいる姿を職場の仲間に目撃され、「勝手うつ」「怠け病」「仮病」などと中傷されることもある。
このような中傷を擁護するつもりはないが、中傷する側の気持ちも、わからないではない。一人でも休職すると、その分の仕事を残りの社員が分担してこなさなければならず、それだけ余分な仕事が増える。だから、「ただでさえ忙しいのに、あいつのせいで俺の仕事が増えた」と被害者意識を抱いて怒る社員がいても不思議ではない。
“新型うつ”は「一億総他責社会」の象徴
一方、休職中の“新型うつ”の社員も、しばしば被害者意識を抱いている。従来型うつの社員が休職すると、自分が休んでいるせいで職場に迷惑をかけていることをすまないと思い、必要以上に罪悪感を抱き、自分を責めることが多い。ところが、“新型うつ”の社員は、休職しても、罪悪感も自責感も抱かない。自分は会社、上司、同僚のせいでうつになったのだと、少なくとも本人は思い込んでいるのだから、これは当然だ。それどころか、被害者意識を募らせ、自分がうつになる原因を作った職場に復讐したいと思っていることさえある。
職場環境も人間関係もうつの原因になりうるので、自分の病気の原因を会社、上司、同僚などに求めることが100%間違っていると主張するつもりはない。ただ、職場環境や人間関係などの環境要因だけでうつになるわけではない。環境要因と素質、性格、考え方などの自分自身の要因の相互作用の結果うつになるのに、うつになった原因をすべて周囲に求めるのは、実に他責的だと思う。
こういう他責的な考え方に傾くのは、自分自身の問題を否認したいからであり、自己愛の影響による。したがって、“新型うつ”は「一億総他責社会」の象徴であり、時代の病といえよう。