立ちはだかる「恋愛しなければ」の壁
——ここまでお話を聞いてきて、「誰かと暮らすのもいいな」という羨望が増幅されました。10年くらい前から女友達の雑談ベースでは「結婚しなくても、シェアハウスや長屋みたいなところで皆で暮らしたらいいよね」と言い続けているのですが、そういう仕組みはなかなかできない。
みんなそう言うんですよね。みんな言うだけ言うけれど、行動にまでは移せない。たぶん、「まだ何かあるかもしれない」という、恋愛結婚みたいなものへの最後の可能性が捨て切れていないのだと思います。
——やはり立ちはだかる「恋愛しなければ」の壁……。
シェアハウス的な暮らしをそれなりの年齢で始めてしまうと、最後の可能性がなくなってしまう。本にも書きましたが、私の場合、恋愛についてはいろいろ試して「もういいや」となってしまったので、自分の中で納得がいっているんです。今まで、誰かのことがめちゃくちゃ好きで、その人のことばっかり考える……みたいなことが本当になかったので、ここまでないと、今後もないだろうと思っています。「この人、ちょっといいな」という気持ちは起こり得ると思うんですよ。でも、その延長線上に結婚があるというのは、もう考えられないですね。
「恋愛」と「結婚」を結びつけなくてもいい
——まだまだ恋愛と結婚は結びつけて語られがち。「恋愛しない女は可哀想」「性格に難アリ」という目で見られることにも抵抗があります。
昔の「お見合い結婚」というのは、勝手に親に結婚相手を決められて、女の人が束縛される不条理なものだったと思うので、恋愛結婚が主流になったいまは本来ならばいいこと。でも、なんだかそっちが義務になってきてしまって、それはそれですごく不自由な気がします。
恋愛は、楽しいものではあると思うんですよ。別にそれを否定する気はありません。恋愛感情って楽しいし、日常のスパイス的な意味でも、あっていいものだと思うんですけど、「なければいけない」となるからおかしくなるんですよね。「結婚だけ」みたいなものがもうちょっとあってもいいような気がします。
構成=新田 理恵
1979年生まれ。2006年に『オカマだけどOLやってます。』(竹書房)でデビュー。著書に『縁遠さん』(文春文庫)、『ときめかない日記』(幻冬舎文庫)、『結婚の奴』(幻冬舎)など。マンガ、コラムの執筆活動に加え、『久保みねヒャダこじらせナイト』(フジテレビ)など、テレビやラジオでも活躍している。