タイトルにドキッとする、山崎ナオコーラさんのエッセイ『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)。「人のことをブスと言ってはいけない」――そんなタブー感があるからだ。山崎さんはなぜ「ブス」の本を出版したのか?「ブス」という言葉を使うことや、容姿で人をジャッジすることなどについてお話を聞いた。

言葉をなくしても差別はなくならない

——人は無意識に、相手を容姿でジャッジしがちです。

「あの人かわいいね」とか「ブスだよね」などと思うことを、私は差別だとは思いません。だけど、人種差別や国籍差別と同じように、容貌を理由に職業を限定するとか、性的な侮蔑の言葉を投げるとかというのは完全に差別だと思います。

——小説家デビューされた15年前、顔写真が新聞に載り、ネット上で容姿に関する差別的な書き込みをされて傷ついたと記されていますね。「ブス」という言葉に長年対峙してきた山崎さんが、なぜ「ブス」の本を執筆し、「ブス」という言葉を繰り返し使うのでしょう?

私は、「ブス」という言葉は言っていいと思っています。たとえば、障がい者差別でも、障がいの話をしなければ差別がなくなるのかというと、そうではない。人種差別の問題でも、国籍や肌の色の話をしなければいいのかというとそうではなく、きちんと話したほうが差別はなくなる。「自分の肌の色に自信を持っています!」と言えるほうがいいじゃないですか。それと同じで、容姿の話をしないというのは、違うと思うんです。

「ブスだから」と話し始めると、相手が当惑して話題をそらそうとするので、場を凍らせる言葉だなとは、私も思います。でも、「美人」や「ブス」という言葉をもっとフラットに使って、「自分の顔立ちに自信を持っています」と言えれば、それでいいと思う。