容姿にまつわる面倒くさい応酬

——私事ですが、子供の頃に周りから「ブス」と言われることが多かったため、客観的に見れば決して陰口を叩かれるほどのブスではなくても、自分を大変なブスだと思って生きてきた紛れもない事実があります。だけどそれを人に言うと、「いやいや、そんな」と話をそらされる。その応酬が正直面倒くさいです。

その応酬をしなければいけない空気ってありますよね。こちらが「ブスです」と言ったら、「ああ、そうなんだ」とただ受け取ってもらえたら嬉しいですよね。「私、美人です」も言ってはいけないワードのようになっているじゃないですか。容姿の話をすると、本人ではなく、話し相手がどう思っているかという話に刷り変わる。美人の人で、「私、顔しか取り柄がないんで」と返すなど、かなり場に気を使って話す人もいるらしいんです。そんな薄氷を踏むような思いでコミュニケーションしなければいけない圧がある。

私もブスだと中傷される被害を受けたのは完全に事実で、その話をしたいときって、自分が自分の顔をどう思っているのかという話をしたいわけでも、相手が私の顔をどう思っているのか聞きたいわけでもなく、「こういう被害があったんだよ」というエピソードを話したいだけ。「実際にこういう被害がありました」ということをただ聞いてもらえたらありがたいんです。

——痴漢の被害の話もそうですよね。「被害を受けて、大変だったね」でいいのに、なぜか「見栄を張るな」などと嘲笑されることもある。

性犯罪の被害を話すと「その顔で被害に遭うわけがない」とネットで炎上するという話も聞きます。事実を言っているのに、顔のジャッジの話になる。“美人差別”の場合もそうです。芸能人が「クラスで浮いていてツラかった」などと過去の話をした際、「そこまで美人でもないのに」と容姿の話にすり替えられてしまう。女性は、仕事の話をしても、性犯罪に遭った話をしても、容姿をジャッジする話に刷り変えられがちです。