部下を「仕事の主人公」にするとは

つまり、その人のナラティヴの中に、様々に学んだことが意味のあるものとして位置づけられるようになる必要があります。この相手なりの仕事のナラティヴの形成という側面を抜きに、「能力がない」と一方的に決めつけても、意味の感じられないことに頑張れないのは当然です。結果的には能力も伸びませんし、場合によっては辞めてしまうかもしれません。

この主人公、ないし当事者としての側面がうまく構築されていかないと、いつも頑張っているのに認めてもらえない(他者視点での自分の評価に依拠している)、仕事の意味を感じられない(生活のためにつまらない仕事を我慢している)、自分が生かされていない(自分のために組織があるという過度な自己意識)という状態から抜け出せないまま、悶々として過ごすことになります。

このような状態の人に、いくらタスク遂行能力を身につけさせようと、研修をしたり、本を読ませたり、色々と過去の話を聞かせたり、どんな努力をしても、結局それは、当人の人生にとって意味が感じられないので、忘れていってしまいます。結果、「能力」すら大して向上しないでしょう。

「部下の能力向上」をいったん脇に置く

誤解のないように申し上げますが、能力開発が無駄だと言っているわけではありません。それ以前に、仕事におけるナラティヴを形成していくことが疎かになっているという問題があると言っているのです。だから、上司の視点と尺度で「部下の能力を向上させよう」というナラティヴを一度脇に置くことが大切なのではないでしょうか。

一度脇に置いた上で、対話のプロセスを大切にしながら、部下が仕事のナラティヴにおいて主人公になれるように助けるのが上司の役割なのではないでしょうか。